日本プロ野球考
 昨日のダイエーホークス対近鉄バッファローズ戦のことである。本塁打の日本記録更新を狙う近鉄のタフィー・ローズが全打席敬遠気味のボールで勝負してもらえなかった。

 試合前、ローズは日本記録保持者の王監督を訪れ、二個のボールにサインをもらった後、王監督に新記録達成の激励を受けている。王監督にボールのサインを依頼したのは、日本のプロ野球を代表する王貞治氏に敬意を表するためであったろうし、日本一のホームランバッターだった王監督のサインが欲しかったからだろうと思われる。日本に来て六年、ローズにとっても王貞治氏は偉大だったのだ。

 十五年前、阪神タイガースが優勝した年、かのランディー・バースは残り二試合の時点で54本のホームランを打っていた。新記録樹立まであと二本だった。彼のあのときの調子では、新記録樹立の可能性が少なからず残っていた。

 残り二試合の対戦相手は読売ジャイアンツだった。一試合目の先発投手は江川卓、第一打席にヒットを打たれてからは勝負をしなかった。二試合目の先発投手は斎藤雅樹、彼も勝負を避けつづけた。

 二人の投手はともに球界を代表するピッチャーだったというのに、誰が勝負を避けさせたのかは想像に難くない。真にプロ野球を愛するファンは、記録がかかっているときほど力いっぱいの勝負が見たいものである。江川氏、斎藤氏の心中はどのようであったのか、彼らは口をつぐんで話さなかった。バース氏の著書を読むまでもなく、あの二試合は日本のプロ野球史上の汚点である。

 二年前の終盤戦、ジャイアンツの松井選手とスワローズのペタジーニ選手がホームラン王を争っていた。ジャイアンツ対スワローズの最終ゲームのことである。優勝はドラゴンズに確定していたので、両チームの勝敗の行方などどうでもよかったことなのだが、その年、新人ながら絶好調にあった上原投手に、ジャイアンツ首脳陣(長島監督)は、ツーアウトでランナーもいないのに、ペタジーニ選手に対して敬遠を指示した。

 そのとき上原投手は敬遠のサインを拒否した。しかし、拒否は認められず、やむなく上原投手は、悔しさに涙を流しながら敬遠のボールを投げた。結局、そのタイトル争いは当初からリードしていたペタジーニ選手に軍配が上がったのだが、両チームの敬遠合戦には後味の悪さだけが残った。

 その年,上原投手は新人ながら20勝をあげ、最多勝獲得とともに栄えある沢村賞を受賞した。だが、敬遠を指示されたことに対する不満が彼から消えることはなかっただろうと推測される。翌年以降、上原投手の気概は失せてしまった。ジャイアンツに入団する前に、一旦は夢見た海の向こうに思いを馳せているのではないだろうか。だから、気もそぞろな上原投手は、ちっともあの年のような投球ができないでいる。今年のジャーアンツのV逸のいちばんの原因は、ひょっとしてあのときのペタジーニ選手を敬遠させたからではないだろうかとも思えてくる。 姑息な手が、結局、今年の美酒をないがしろにしたのではないだろうかと。

 近鉄の中村選手は憤りをかくさずにこう言っている。「こんなことをしているから日本のプロ野球は駄目になるんだ」

 タフィー・ローズはうんざりして「僕にとらせたくないんなら、それはそれでいいよ」と語っている。

 ローズへの敬遠の指示は、若菜バッテリーコーチからだされたものだと公表された。「彼はいずれ帰っていく人。王、長嶋さんの記録は残しておきたい」 そう敬遠の理由をコメントしたそうだが、馬鹿げた話である。ホークスの本拠地、福岡ドームだから、王監督の記録を破らせたくないという思惑が働いたのだろうか。いや、さもいわくあるような泥を、若菜コーチがかぶったのである。その指示が、詰まるところどこから発されたのかはわからない。しかし、勝負を避けるピッチャーを見て、王監督はなぜこういわなかったのか。「逃げずに勝負しろ。打たれたっていい。記録は破られるためにあるものだ。でも、打たれるな。負けるな。厳しいところをついて、おまえのいちばんいいボールで勝負しろ。全国のプロ野球ファンが見ているんだぞ。海の向こうででもこのことが話題になるはずなんだ。必死でがんばってくれ」

 結果的に王監督も一蓮托生である。いや、現場の責任者として最終責任は彼にある。彼が持つ記録だからこそ、逃げさせてはならなかったのだ。

 長島監督が去った。メジャーリーグの野球を見て、日本のプロ野球ファンは減少傾向にある。あの新庄の溌剌とした姿を見て、ほんとうに僕は驚いている。数十倍のお金を捨てて、夢の世界にかけた新庄という一人の青年は、あまりに単純といえば単純だが、爽快さではイチローに勝るとも劣らない。

 一昨年、伝説の人ベーブ・ルースの記録を破るマグワイアの70ホームランは、メジャーリーグファンを熱狂させた。ホームランという野球のもつ華、醍醐味に日本の野球ファンも酔いしれたものだった。そして、今年、再び黒人のバリー・ボンズがその記録をぬりかえようとしている。かつてのアメリカでは許されなかったことだ。彼に対してピッチャーは逃げない。逃げることを許されないのだ。それはベンチからの指示でもなく、伝説のとりこになっている回顧主義者からでもない。それはメジャーリーグのファン、アメリカ国民からの勝負への指令なのだ。テロに苦悩する中、新記録樹立を全国民がわくわくして見守っている。

 タフィー・ローズの残り試合はあと二試合だ。オリックスの投手には渾身の力をこめて対決してもらいたい。ホームランが出る確率とそうでない確率は、はるかにそうでない確率のほうが高い。必ずホームランを打つということは、打者にとって並々ならないことなのだ。

 ベーブ・ルースは、メジャーリーグでのホームラン記録は破られたけれど、やはり野球を愛する人たちの最高の伝説の人であることに変わりはない。ローズが王監督の記録を抜き去ったとしても、やはり日本一のホームランバッターは王貞治氏であり、ローズもまたそのことを覆そうとは思わないだろう。

 記録は結果だ。時代という状況の違う結果などたいした意味を持たない。意味を為すものはファンの期待であり、夢であり、ファンの支持である。一つの記録だけでは、その名を永遠にとどめることなどできようはずもない。ファンを熱狂させること、それがプロ野球選手の使命であり、その選手がグランドの土に自らの夢を委ねた結晶になるのだ。

 勝敗がかかったときのランナー2塁3塁での敬遠は逃げではない。それは戦いの一つだ。しかし、明らかにきのうのホークスはそうではなかった。選手は、スポーツという戦いの場で、逃げることは汚点となることを忘れてはならない。そして、首脳陣は選手をそんなふうに育ててはいけない。

 昨日のゲームはプロ野球ファンの失望を買った。残念ながら、僕は王監督には絶句してしまった。ジャイアンツの松井選手だったなら打たせたのになどとは、口が裂けても言ってはならない。プロ野球はジャイアンツのために、日本人のためにだけあるものではない。そこで活躍する選手のために、日本のプロ野球を真に愛するファンのためにある。日本らしい結末はもうごめんだ。愚劣な日本らしさに明日はない。

 ホームランの新記録達成は、ONという20世紀のヒーロー依存してきた日本のプロ野球に新風を吹き込むものであり、再びその記録をぬりかえようとするヒーローの登場こそが新たな繁栄を生む。女子マラソンの新記録を樹立した高橋尚子は、更なる記録の更新を目指しているではないか。彼女はベルリンという異国でヒロインとなったのだ。

 日本プロ野球考、今のままでは選手やファンの流失を止めることはできない。