土曜休み
昼過ぎからショッピングセンターで7時間を過ごす母と子二人。また外食かと迎えに行ってやる。

自宅で夕食だというから、感心ししていたら、三人は食べたようだが、珍しく早い帰宅のパパ。

8時過ぎから全員で外出。帰宅は12時を過ぎている。子供の生活パターンを大切にする私はつい、文句を言ってしまう。

同居して、最も気になることは、われわれの眼がうっとうしいのだろう。

今まで名古屋でこのような自由気ままな生活だったようだ。婿も外食が好きらしい。

解らぬでもない。家で食事をすれば洗物は自分だ。作らなくて良い娘と洗わなくて良い婿の意思が一致するのだろうか。

もうひとつの原因は外の食事の方が旨いのだろうか。私が娘の作る食事は二日と食べたくないのだから、婿も同じかもしれない。

本人は料理学校へも通ったから、できると思っている。高校、大学の半分以上は家内の弁当で育ったのだから、味覚も育っていると思っていた。

幸い孫たちは家でママの作らない家庭料理が大好物だから、今のところは正常な味覚を持ち合わせている。

果たして、これが何時まで続くかである。

家内に気の毒と思うことは度々あったが、家の食事が最も旨い私である。

考えると夫婦で作り上げた家庭の味なのである。作ることをしない私は食べる方。家内は作り手。

男子厨房にいるべからず組である。家内が留守と病気のときだけ何かを作る。

学生時代自炊経験者だから、やれば何でもできる。家内の領分には介入しない主義である。

娘に言わせると、そんな男に今時、嫁に来手がないという。現代女性のおごりである。

それ程自分に価値があると思っているのだろうか。夫は真剣に社会で働いている。家庭を守り、完璧な子育てをしているならば、大変だと手助けする。これは思いやりだ。

今の女性はそれを強要しているように見える。世間が皆そうだからという理屈が帰ってくる。

世間も大事だが、どんな環境にあっても自分を失わない。これが昔の教えだったと思う。

最近の事件を見ても、社会全体が狂っていると思うことが多くなった。まともに育った優秀な人もいるのだが、それが少数派になっている気がする。

向かい側のコーポの住人が外車のエンジンを響かせて出て行った。

本人はトルクの太い音が楽しいらしいが、近所迷惑だ。休日の朝など特にである。