1月15日は昔は成人式の日である
各地の成人式で騒ぐ若者を見て、情けなくテレビを見ていた。幸せすぎて、馬鹿騒ぎする。

寧ろ、落ちこぼれ組みが、式の邪魔をしたくて騒ぐようだ。一律に行動に集まっての型にはまった儀式を訝しいと思わないでもない。

北海道の夕張の成人式には同情が集まって200万円を超えるカンパが集まった。

あそこには馬鹿な動きをする若者は一人もいなかった。50年以上前の成人式に私は参加しなかった。

と言うよりできなかった。東京の大学生だったから、冬休みでもバイトで大忙しさでもあったが、どこからも案内が来なかった。

最近では出身地で参加が通例のようだが、20才になったものが祝うのか、その年に20になるものが参加するのかも分からず仕舞いであった。

住民票は東京だから、そこから来るものか、田舎から来るものかも分からぬうちに終わってしまった。

田舎に残ったクラスメートだけが成人式に参加だったようだ。

戦時中強制疎開で来た田舎だったから、東京へ戻った仲間は皆、私と同じ過ごし方だった。

正月も田舎は旧暦で、都会は新暦でと分かれていた時代でもあった。

地方の財政が窮しているときに、大騒ぎして、祝ってやっても、若者が喜ぶのかどうか怪しくなっている。

誰かが、「あれほど暴れて嫌なものなら、行かねば良い」と言ったが私も同じ思いである。