どこかで書いた
門限の話。法的にも正式な娘となった高校時代から、生活を一緒にすることになった。

門限9時は当時でも厳しすぎることだった。承知で設定した。交通の便のよい駅の近くなのだが、バスで二区。

どこかへ出かけて帰る時刻はバス停へ出て待った。すぐ近くに大きな公園があり、そこには浮浪者がテントや小屋を作って住んでいた。

油断のならない地域ではあったが、女の子が夜、9時過ぎに出歩くことの理解は私にはできなかった。

それは大学、社会人になっても9時だった。友人たちはそれを知っていて、「T子門限だよ」と返してくれたようだ。

私の学生時代もガールフレンドは何人かいたが、夜のデートは9時に自宅へ送り届けるのが常だった。

良家の子女はそうだと思い込んでいたし、そんな家庭の人が多かった。

今の渋谷の子達を見ると、別世界の子供たちかと疑うばかりだ。ダンスも本格的にたしなんだから、東京の各地のダンスホールもむ一通り出かけた。

真面目な女友達を誘うときは門限を厳守した。大手食品メーカーの社長令嬢と夏期講習会で友達となった。

ソシアルダンスはホールとは別の種類のものだったから、皆、行く機会が無いだけに行ってみたい誘惑に駆られる。

彼女に頼まれて、渋谷のあるホールへ出かけた。丸ビルのOLさんだったから、会社が引けて出かけるといい時間になった。

実質踊る時間は2時間も無かった。9時に家の近くまで送り届けた。それを知った父親は私の先輩でもあったからか、W大の学生は偉い。

今度休みに家へつれて来なさいということになった。ダンスも許してもらえなかったのだが、相手が気に入って、ダンスも許してもらえたそうだ。

近いうちにと言いながら、当時は縛られるのが否で、失礼してしまった。素直な素敵なお嬢さんだった。

タンゴが好きで、懸命に勉強していた。今アルゼンチンのバンドと共に来る。官能的な変なタンゴではない。真面目なステップだった。

友人の従姉妹でNTTに勤める子が私の相手だったから、それもあって前記の彼女には距離を置いた。

娘の門限が私の青春時代へタイムスリップしたところで、ひとまず休憩とします。