ものの無い、金も無い
戦後復興の途にあった日本。そんな時代に私の青春はあった。

中学時代、数学の参考書が欲しくて、欲しくて、買ってもらうのに1年半かかった。

英語は兄のお古で、ぼろぼろになるまで赤線が重複だった。紙も今の新聞紙程度の本が主流だった。

英語の辞書は左手で引く指の跡がへこんだ私流の愛用品。田舎の中学から名門高校だから、辞書の引く単語ばかりだった。

有難いことに、兄を教えた英語教師だったから、毎時間何ページかを代読させられた。先生は目を瞑って聞いているだけ。

従って、予習をしておかないと恥をかく。結果とし語学力は向上した。2年には3年生と同時の受験のための模擬試験で上級生より上のベストテンの常連となった。

反対に家庭では、勉強しろと言われたことも無く、父の手伝いが主だった。子供が皆よい成績をとると、うれしい筈だが、我が家では頭痛の種だった気がする。

食べることが大変な時代だった。農地改革で、地主だった我が家はすっはだかにされた。

短期政権の社会党の片山内閣のとき。社会党は嫌いだった。最近聞くとただ同然に渡した小作人への田んぼは売り払われていて、耕作している人が少ないと聞いた。

いつの時代も政治が間違うと国民が苦労する。末代までそれが影響する。

村内の農地は耕作する意思があれば2町歩まで残せたが、村外の小作にだけ良い思いをさせられないと、全部同じように、ただ同然で下げ渡したのだあった。

父のお人よしと呼ばれる所以である。それを最も受け継いでいるのが兄弟の中の私だそうだ。

農地だけが対象で、他の土地や山林には適用されない偏った施策だった。

解放後も、馬車に米俵を積んできてくれた小作さんもいた。

特権階級をなくする、ある意味では格差社会を改善する策だったのかもしれない。

最近の日本でもそれに似た何かをしなければならないときが来つつあるのだろうか。

低金利政策の旗頭が、自分だけ特殊投資で莫大な利益を上げているのは頂けない話だ。