最近気がつく娘の暴言
孫たちが言うことを聞かないと、とんでもない荒い言葉で罵り、叱る。時には手が出る。

同居してからは、二人とも叱られるとこちらへ逃げてくる。いい加減にせよと注意すると、婿までが、「叱って、叱られ強くする方が子供には良いので・・」と言う。

私がいると、同情を引くためになくのだという。最後は「私はこんなに大声を出したか」「手を出しことがあるか」というと、それで一段落になる。

名古屋に住んでいた昔、隣家のお嫁さんが子供を折檻する声が聞こえて有名だったのを思い出す。

「どうして泣くの」バシッツ!「泣くな」「泣くと許さない」とまた叩く。
これは狂気の女性だと思った。叩かねば泣かないものをと不思議がった。

我が家に甥の嫁が事業の会計の仕事で通わせていたから、良い部分だけを見ていたが、きっと娘に暴力、暴言を使っていたのかもしれない。

親から暴行を受けた子は自分の子供へ暴力を振るうと聞いた。

あるとき出入りの電気屋が「旦那さんに聞いていられない荒い言葉ですね」と甥の家のことを告げたことがある。

いい人が出来て、何ヶ月か長崎の地へ行って帰らなかったことがある。

妻子を捨てて何をしていると叱ったが、居場所のない家庭から逃避したのかもしれない。

長男でありながら家を捨て、別所帯を持った家内の兄。そのこがこの甥である。親子同じことをするのかと理解に苦しんだ。

名古屋へ戻り、私の知人に就職を頼み生活が安定した。よく働くし、生まれが良いから人から信頼される好人物だった。

娘を我が家の養女にするのも、娘の将来の幸せと本家の子供がいないために、涙を飲んで別れたのだと思う。

落ち着くと次に女性が出来る。女性が放って置かないタイプなのだ。

仕事も休み、ボーナス全部を女につぎ込んで、職場までなくしてしまう。知人と言っても私の義父が面倒を見た連中ばかりだから、私が頭を下げれば無事収まる。

そのときは、本人かどうしても止めたいというから詳しく聞くと、遠縁であったから、仲間のことを身内なのだから、逐一報告しろとスパイ行為をさせようとした。

それを聞いて彼を引き止めてもらうことを中止した。男の場合、今で言う、「ちくり」はしたくない、出来ないからだ。

タクシー会社に移籍。信用を得た。M新聞のトップまで上り詰めた人が、事件記者時代世話になったと今でも連絡が来る。

滅多に人を信じることの出来ない夫がこの甥だけは信頼したと言うことが、奥さんからの長い手紙で知った。

過労が祟ったか、42才の厄年に大動脈破裂で他界した。

大勢の人を使って、多忙な仕事をしていた私だが、彼のように純情に生きたことがどんなことか知らされる時が来た。

自宅での通夜と式場の葬儀だったが、東京から、新幹線で別れに来る人、九州、四国から飛行機で来る人、地元の人も含めて、相撲さんまでが、男泣きに泣いて分かれてくれた。

皆異口同音に「こんな素敵な人物はなかった」とひれ伏して泣かれた。

人の真価とは死んだときに分かると聞いたことがあるが、これがそうだと思った。

二周りも年下の甥に教えられた。この辺でこんなに多くの送別者が来るのは珍しいことだった。

「お世話になった」と言う人が次々であった。