鳥インフルエンザ
 対岸の火事ではなくなってきた。有機飼育をしている友人の鶏舎も、卵の出荷自粛を余儀なくされている。自粛といっても、お役所命令の停止と同じことで、役所都合の体のよい表現を使っているだけのことである。

 近隣のスーパーでは卵や鶏肉の取り扱いを激減させている。消費者が買わないだろうからだ。焼き鳥屋は開店休業状態だ。卵を買いに行って、置いてなかったという店まであったそうだ。京都丹波町に端を発した隠ぺい工作のおかげで、鳥インフルエンザ騒動は兵庫県中南東部を巻きこんでしまった。友人の住む田園地帯では、事件発覚以来、夜討ち朝駆けのごとくに連日連夜報道陣が詰めかけて、町史に残る混乱となっている。

 一度友人のコメントが紙面に載った。卵は結果であり、私は鶏の健康をいちばんに管理していると。憤懣やるかたないとまでは言ってはないが、憤りを通り越して、精魂こめて育て上げた鶏の毎日の卵を捨てることの忍びなさが漂ってくる。

 役人は結果がないと動き出さない。だから、あんなふうな隠ぺい工作が発生する。すでに国内で鳥インフルエンザは発生していたのだから、なぜ各都道府県の養鶏業者の実態調査を指示しなかったのだろうかと、農林水産省の怠慢を感じる。

 今夜の夕食はすき焼きだった。もちろん生卵を使っている。O157事件当時のカイワレ大根然り、うろたえることなく、ふつうに生きることが吾のもっとうである。が、鶏肉だけは怖ろしい。腸炎にかかってお陀仏になりそうな鶏を、まず先に出荷するのが業界の常識らしいではないか。

 食用鶏、いわゆるブロイラーは雛からたった3ヶ月で生育し、市場に出るという。太陽に当たることはほとんどない。檻の中に入れたままで、夜は電気をつけて眠らせず、24時間餌を食い続けさせて成鶏にする。飼料は全くの天然ではなく、抗生物質入りの化学配合飼料だ。あげく、腸炎持ちとくれば、いかに吾といえどおっかなくてしかたがない。人類みな複合汚染、そういってすませてよいものかどうか、未来へ子供たちが生きていくのだ。この際、食生活について、じっくりと考えて見たいと思うのである。

 自然卵 ←ちょっとウサマ・ビンラディンと似ている