デジャヴー〜夢のあとさき〜
 昨年の小椋佳のコンサートツアーのタイトルである。往年の青春ソングと併せて、彼の歩んできた道程を吐露したような内容となっている。自分の歌だけでは盛り上がりは作れないことを、彼自身がいちばんよく知っている。オールドファンだけではない人々にも聴いてもらいたいと願っている。

 そこで織りなされたのが、小椋佳作のおとぎ話、歌つづり「薔薇とお弁当」。小椋がナレーションを務め、スタッフが声優を兼ねる。主人公山崎三郎にはベース男性、村岸小百合にはパーカッションの女性、娘マリにはピアノの女性。その他いろいろの役回りは他の楽器を演奏するスタッフ。

 小椋佳の歌「揺れるまなざし」の独唱からはじまる。法廷での仕事を終えた三郎は、なぜかいつものように車には乗らず、あの公園の道を歩いていた。ブレーキのきしむような音。若者たちの騒がしい声。

 「やばいんじゃない。あのお弁当おばさん」
 「変なおばさんだったよな。いつもバラのハンカチにお弁当を包んでここへ来てたよな」


 三郎の回想。サラリーマンだった二十代のころ。生きがいを感じるわけでもなかったが、会社の仕事に懸命に生きていた。楽しみはギターで、昼休み近くの公園でいつもギターを弾いていた。そんなある日、突然一人の女性が声をかけてきた。

 「いつもあなたのギター楽しみに聴いていたんです。この緑のベンチであなたが歌うのを聴いたあの日からずっと。わたしは毎日この公演でお弁当を食べるようになりました」

 三郎はうろたえた。『こんなきれいなひとがどうして、ぼくのことを・・・』と。そして、唐突に「きみ何て名前?」と言ってしまった。

 「小百合です。あなたのような若い男性が毎日菓子パンと牛乳だけだなんて。このお弁当食べません?」

 小百合も近くの会社に勤めていた。バラの刺繍のある白いハンカチに包まれたお弁当は、小百合のお手製だった。それから二人は、仕事のある毎日の昼休みにこの緑のベンチにきて話し歌を歌った。小百合の出現は、三郎のこれまでの人生において、信じられないような幸福だった。いつもベンチに小百合が待っていた。バラのハンカチに包まれたお弁当、三郎にとっては小百合がこころのバラ、大きく恋が燃えたのは当然の成り行きだった。

 小椋佳の独唱。「白い一日」。

 そのおよそ半年後、三郎は仕事でミスをし、会社に大きな損出を与えてしまう。その結果、左遷の辞令が下る。三郎にとって、公園での小百合との時間がなくなることは、大きな心の痛手だった。ひどく三郎はあせった。そこで三郎は恋の告白を決意する。日曜日、ここで会ってほしいと小百合に告げた。

 その日はギターではなく、バラの花束を抱えていた。三郎はプロポーズするつもりだった。しかし、いくら待っていても小百合は現れなかった。三郎は自分が恋されていなかったのだと失意の底へと沈んでいく。

 ピアニストの女性の独唱。「シクラメンのかほり」。

 三郎は小百合の住所を知らなかった。聞いていなかった。電話番号だけを知っていた。が、一週間かけつづけてもつながらなかった。三郎は疲弊し、左遷の前に職を辞した。

 小椋佳独唱。「さらば青春」。

 時が過ぎ、三郎の傷はどうにか忘れられていった。司法試験のための勉強を始めた。懸命に勉強し、司法試験に合格、アメリカへ留学の後に、日本へ帰って念願の弁護士になった。あれから六年ののちのことだった。ある日、花屋の店先で薔薇の花を見た。ふと思い立ったように三郎はあの公園へ行ってみた。緑のベンチのそばには、よちよち歩きの女の子を連れた女性がいた。小百合だった。ベンチにはあの白いハンカチのお弁当が置かれていた。三郎は驚き、思った。『小百合は結婚していたんだ。あのお弁当を食べるのは、ぼくではなく別な男性になっていたんだ』

 それから十五年がすぎた。三郎は五十歳になろうとしていた。物語は冒頭へともどっている。三郎は若者たちに尋ねた。『お弁当おばさんて?』

 「変なおばさんがいてさ。食べないくせに、毎日お昼にお弁当を持ってきては、あのベンチにいるんだ」

 三郎にはどことなく引っかかるものがあった。一週間後、三郎は再びあの公園へ行ってみた。緑のベンチにはあのお弁当が置いてあって、高校生くらいの少女が立っていた。

 「山崎三郎さんじゃありませんか?」

 「そうだけれども・・・、き、きみは?」

 「わたしは村岸マリです。おかあさんはいつもお弁当を作って、ここであなたを待っていたんです」

 「なんだって、小百合さんは結婚していたんじゃないの?」

 「よくわかっています。あの日は、急に祖母がなくなって、母はここへ来ることができませんでした。それからいろいろあって、すぐにもどってこられなかったのです。帰ってきて、あなたに連絡をとろうとしたけれども、行く先がわからなかったんです」

 「そんな・・・」

 「おばあちゃんが死んで、身内のないわたしをおばさんが引き取ってくれました。とてもやさしいおかあさんになってくれました。母は生涯独身でした。その母が昨夜亡くなったのです」

 小百合独唱。「少しはわたしに愛をください」。

 「このお弁当はわたしが作りました。母とお弁当を作るのが好きでした。この公園へくるのが好きでした。母といっしょにあなたのギターを聴きたかった」

 「どうしてきみは今日この公園に?」

 「大切なひとに会える予感がしたのです。明日の午後、母の告別式です。どうか会いに来てあげてください」

 マリは一冊の大学ノートを手渡す。お弁当のレシピと、小百合の二十数年間の三郎への思いをしたためた愛のノートだった。

 三郎は来なかった。告別式が終わり、出棺のとき、大きく小百合の名前を叫びながら三郎が駆けてきた。参列者からどよめきがもれる。

 マリがささやく。「三郎さんありがとう。よかったね、おかあさん」。声を上げて、みんなに。「あのひとはおかあさんがいちばん会いたかったひとなんです」

 三郎の手前には真紅の薔薇の花道ができていた。三郎からの最初で最後の贈り物。真っ白なウェディングを着て、薔薇のバージンロードを歩く小百合の姿が浮かんでくる。

 小椋佳独唱。「ぼくたちに別れはない、こころかよえば」


 とまあ、こんな歌つづりで御座います。クサイといえば、実にクサイ。そのクササに涙するおひともあれば、辟易するおひともいる。小椋佳が、マイ・ウェイと語りつづけてきたピュア・ラブ・ソングでも御座います。而して、彼は億万長者銀行員となり、後にそれを生業(なりわい)とするようになりました。胃がんを克服しての「夢のあとさきコンサート」、幸せなかたで御座います。

 おっと、山岡百介の語り調が伝染している。失礼失礼。小椋佳のスタッフの女性は誰も彼もが、知性的でスリムな美人。華奢ともいえるラインのナイーヴさが、彼のピュアラブ、青春路線を引き立たせてもいる。少しはやせたが、太く見えるのは彼ひとり、男性のほうもよくもそろえたほどに、スリムなハンサムボーイたちだ。

 で、その続きにきのうの「恋愛小説」を見たわけ。ピュアラブのレンチャンだったわけだ。もう少しストーリーの続きを知りたいむきもあるようなので、あしたちょっとだけ書いてみます。ではでは、みなさんおやすみなさい。