昨日テレビを観ていたら
NHKだと思うが盆栽コーナーを見た。小品の寸景てきな、素人番組と観ているうち、講師の美人山田香織さんの名を聞いて、もしや山田登美男さんの娘さんではと思った。

調べると5代目とある、やはり清香園だったと思う園名で、大柄の方だったと思い出す。

伝統の盆栽に元気のないことを憂いていた私にとっては嬉しく最後まで見た。

椿の植え替え、飾りに初心者に親しまれる誰でもできそうな工夫に感心した。

調べているうち、Blogも作っているのを見つけた。さすがに東京である。いや大宮だからさいたま市になるのだろうか。

知事さんが元医師会会長だつた人の筈、畑知事、今は誰か知らないが、文化に熱心な県と市と記憶している。

大きい団体に日本盆栽協会と言うのがあって、大手業者と愛好者は大物が多かった。

名古屋でも愛好家が何人も席をおいていない頃だから、古い話だ。

会長が岸信介首相、福田首相、今は誰だろう。私はその前記お二人の頃だから昔昔の話になる。

政財界の大物が名を連ねる世界に名だたる団体であった。日本随一の展示会が上野の美術館で開催の「国風展」である。

今日も続いているが、特殊な趣味の一行事となっているようだ。当時は押すな押すなの大盛況で、日展を凌ぐ勢いだつた。

それに倣って、各地のデパートで盆栽展を開催できないのは二流、三流だつた。

一流品は何千万円級が動いていた。市中の恵まれない環境で盆栽を始めた私は、南側に5階建てのビルができて、やむなく置き場を屋根上に移動したばかりであった。

季節によって、日向を追って場所を変えるのを見た、毎日新聞の若い記者が取材に来た。

不思議な光景を毎朝夕通勤途中見るので伺ったという。屋根に上がって震えながらの写真撮影で、正月紙の一面に「盆栽の引越し」と題して掲載された。

自慢の話ではない、にわかつくりのひな壇状に作った板に載せていたのである。

まもなく、洗濯物干し用に販売されていたアルミの置き場ができたのだが、それでは話題にならなかっただろう。

お仲間も同じく屋根利用の人は多くなってきたのは都市での栽培の難しさを表すのと、ビルラッシュの被害でもあった。

南向きの庭で行っていたものがやむなく屋上へ上ったのであった。

風通しがよすぎるから、普通より倍の回数の水やりが必要で、その分成長、われわれは「作がかかる」と言うのであるが、友人の愛好家が、私に預ける人が出るほどであった。

サラリーマンだったから、日中の水やりには人一倍苦労して、自動潅水器なるものを提案して作ってもらい使用したのも、私ははしりではなかっただろうか。

長くなるから、次の機会にまた書くことにする。