朝刊に載った美術館館長
上村松園の美人画の紹介だが、美人画収集で有名な紡績会社前会長の遺産が中心で出来た館である。

名古屋に合ったものが元県知事の桑原氏の時に現在の長久手に移された。県と市も経営参加の第三セクターのような珍しい形と私は思っている。

館長はオーナーである林一族がされていて、副館長の羽場女史が実際は館を運営していると思っていたる。

88才になられて、尚、お元気に活躍していて、美術の世界にいるものでこの方を知らないものは素人である。

私も二年近くお会いしていない。フランスの巨匠ポール・アンビーユ(ル・サロン元会長で現名誉会長)を岡崎へ呼んだ折、名都美術館は次の日広重・北斎の版画展をオープンするときであった。

私も招かれて、テープカットの催しに参加する話を聞いて、アンビーユ氏が明日帰ってしまうからと残念がられた。

羽場氏に話すと「今、陳列ケースに展示作業中ですが、良かったらどうぞ」と親切に言ってくれた。

遠来の客人を持成す私の立場を理化してくれてのことだった。
版画をガラス越しではない、関東から移動してきた美術館関係者の説明もしてくれた。

フランスの客人は生涯忘れられない好意と大変喜んで帰った。
その前日までは西武百貨店で彼と私と私の友人の三人展を終えたばかりであった。

ここでは全国の中の有名な館長さんたちと知己を得ることもではて、大観美術館他多くの館長と今日まで交流が続いている。

この館との縁は深いものがあり、私の東京時代に中国の画家の出品作品に賞を与えたことがあり、彼がここで個展をしてもらう機会が出来た。

そのオープニングに招待されたのがそもそもの始まりだった。以来、中国の第一人者として活躍していると聞く。

そんなすごい美術館の名物副館長羽場女史の大きな写真を今朝みて、まだまだお元気でご活躍を嬉しく、近く訪問しようと決めた。