昔道場、今教会と呼ぶ
家内の母親が癌で苦しんだとき、救いになってくれた心の支えが、この宗教だった。

父親も私達も先祖からの仏教の宗旨を守っている。母の嫁に当たる長男の妻が継承して信仰していた。

その嫁もまた、それが縁で嫁いできたから、我々も全く無縁と言い切れないのである。

新興宗教なるものが好きになれないのも、私の偏見かもしれないが、先祖を大切にする教えは100%拒否すべきものでもない。

その血の繋がった娘が私の娘である。日本の仏教だって、多くの宗派に分かれている。

家内は代々北陸系だから、浄土真宗、武家出身の私の祖先は曹洞宗所謂、禅宗系である。

我々が家内の家系を継いだのだから、浄土真宗となるべきなのか。

元来、無主教主義者に近かった若い頃の名残が残る私は宗派と神道、仏教にも偏らない。

神を敬い、仏を信じる気持ちは強い。矛盾するのだろうか。

娘が今朝、教会へ行くという。「じいじ教会へ行くよ」と下の孫が呼びに来る。「道場か」というと孫は「教会だよ」という会話は面白いかもしれない。

駅までの車中、娘に昨夜の出来事を聞く、「もう駄目、根本的に合わないから、やっぱり離婚する」とまた、離婚病が始まった。

少しの時間なので、子供のことを考えて、喧嘩は禁物。生い立ちの違う人間が生涯を共にするのは忍耐と協力だと説教。

二人とも両親が離婚している。だから、自分達は決してしないと私は信じていた。

その逆なのかもしれない。軽々に離婚という言葉を口にする。婿は、絶対に離婚しないと言い切るのが救いではある。

結婚生活10年を超え、年令も30半ばとなると始末は悪い。娘の我儘と思うが、決め付けず時間をかけて聞いてやる必要があるようだ。1