「置いて行かれる」症候群
I君は何時も追い行くからトラウマなんだよね。と言う娘の話を聞いて、マンション時代は一人、指をくわえて泣きながら留守番していたのだと分かる。

日中姉が学校のときの半分以上は我々の母屋へ来ている彼である。

習い事に弟を連れてゆけないと置いて行く。これが常だったようだ。

他人に迷惑を掛けないための配慮なのだが、考え方では、自分の立場優先だからだ。

人前で騒がせない配慮をしても、幼子を置き去りは、成長過程の精神形成上悪いことだ。

これからは其れが無くなっただけ、我々と一緒の意味は大きい。

親元だから当たり前。其れを有難いとは思わない娘である。

ようやく「有難う」の言葉が言えるようになった。口うるさく言うことも大切だと知った。

大人だから分かるだろうは駄目である。私の元では教えた積りだが、幼児期を生みの親との生活で得た習慣、血統は消えないことが分かった。

本人だけ責任ではなく、時間をかけて修正するしかないようだ。

我々と接するときだけ良い子だったらしい。そして、望んで養女の道を選んだ。

誰でも多少はその傾向があるのだが、人前と家の中での会話と態度が正反対なのだ。

他人からは素敵な主婦に映るようだ。家内は其れを私の甘やかしと決め付けるが、DNAまで私は責任をもてないから、執念深い私は、これから少しずつ根気良く直してやろうとおもっている。

わが子となって、20年が経過するのだから、親と一緒の時間より長くなった。

14才まで、両親の不和の経済、精神面で不安な生活だったことを割り引けば、まともに育った方だと思うしかないのである。

高校と大学は完全に私の手元で育てたし、それ以前も沢山拘ってきたのだから、もっと多くを期待した。

小学一年生の娘と対等に言い合う姿を見ていると、子供だと思う。

実母が愛情不足、悪しき妻だったから、家庭が混乱して、我々が見るに忍びず、深く拘り合ったのである。

幼児の時代は母親は私の仕事の手伝いに来ていて、娘は我々の孫的存在。

帰るときは泣きの涙の別れだった。車を買い与えて、父親に朝夕送迎させた。

悪妻を選んだことで、女性問題、転職と不遇な生涯を40才で終えた彼は、短命を知ってか淋しいが長女を我が家の養女にしたのである。

家内の甥を息子のように可愛がった私だけにこの他界は大きなショックであった。

養子、養女と言う言葉は我が家には無縁であった。実の孫が戸籍上子供になっただけのことだった。