5月2日は八十八夜、、、。
もう何年になるだろう。
山歩き、ぜんまいを探してアチコチの野山に足を踏み入れたとき、廃屋の敷地跡にあった茶の木を見つけて摘んで帰りお茶を作ってみたのがきっかけだったような、、、。
あの茶煎りのなんともいえぬ香りのよさを思い出すとたまりません。
買ったお茶は好みません。
小さいころ8人家族で貧乏だったけれどこの時期、お休みは茶摘に借り出されていました。
摘んだ茶葉を大釜で煎るのはばあちゃんの役目、その他は専ら揉み手に回ってました。
今でのあのときの香りを忘れられず、母がなくなって仏壇に供えてあげようとその後毎年少しだけ自分で作るようになった。
始めは養母が見下したような口調であざ笑っていたが最近は新茶の届くのをあてにしているような気配を感じる。
手で摘んで一人で煎り、揉無などの繰り返し作業は一人なのでたくさんは作ることが出来ない。
それでも出来上がったら実家、養母、茶葉を提供してくださってる方などに配ってしまうとわずかしか手元には残らない。
毎年出来上がりの状況が違う。
今年は気温が低かった成果、茶葉の伸びは今一の感じ、八十八夜の茶葉がやっと、、、。
去年はこのとき延びすぎてずいぶんと粗いお茶が出来上がった。
今年はしっかり撚れたよいお茶が出来そう、、、。
量が少ないのでみんなに届けられるかチョッと不安?

自分で作ったお茶は好んでいただくmikiharb、買ってまではお茶は頂かない。
今年は2番、3番と時間が許せばチャレンジしてみようかと思い始めてる。
中華なべで少量ずつ煎るので時間と手間がかかりすぎるけれど出来上がるとうれしくなる。
放置された茶葉をいただいてくるので中々期待するほどの州買うを得られないのがザンネン!
お茶の木は移植がうまくいかないんですって!
種から育てなきゃダメなんですね。もう少し身近にないかしら?
今日は1時間半もかかって出かけてきた。
今時家でお茶つくりをする変わり者はいないでしょうね、きっと。
でもきっと自給自足の時代がやってきますよ。
作り方を覚えておくと得するかもね?( ̄ー ̄)ニヤリ

よく八十八夜のお茶というけれど、、、。
理由は次のようなことのようですね。

八十八夜に摘んだ新茶を飲むと長寿になるとか、入梅の雨で煎じたお茶は邪気を払うとかお茶に関する縁起はいろいろあります。先人の残した生活文化としての伝統に思いを馳せてみるのもいいですね