4月1日
エプリルフール(四月馬鹿)西洋から来たこの呼び名は私は嫌いである。戦後沢山学んだことも多いが、それだけ日本の文化を軽視し、忘れさせられたのも事実である。

小学生で教科書の八割を墨で消すことを強要された時代の私は忘れもしない。

今まで正しいと思って学んだことは、全て悪いこと。大人も子供もそのように思ったかもしれないが、全部消しながら悪いこととは思わなかった。

戦争に負けることの屈辱を感じたのは事実だった。古い思想かも知れないが、進駐軍が来ると女と子供を守らなければならないと、蔵に山済みの日本刀の一振りを渡された小学五年生であった。

今、問題の後期高齢者保険は私たちより高齢の戦後の日本の復興に苦労した人たちである。

団塊の世代の退職時期以後の国民の年令構成を考えて、唱えだしたのが小泉首相のときからである。

苦労知らずに戦後を何代目かで海外留学までした彼である。食料、物資の不足も、皆で分かち合った時代を知らない世代である。

弱肉強食のクールな、言い換えれば薄情な血が彼には流れているとしか思えない言動があった。

それを引き継いで今日実施のときを迎えた。石油の暫定税率による2億6千万円の使い道も示さず、3月末には福田首相が衆議院の最後の採決で復活させようとしている税である。

彼もまた二代目の政治家である。苦労したたたき上げの政治家が少なくなったのも、日本の政治の貧困を云々されるのである。

団塊の世代も戦後の犠牲の上に存在する。外国へ派兵された日本の男子が一斉に帰国して、子供が生まれた。

それが団塊の世代の始まりである。彼らは過当な競争を生き抜き、学業、企業、社会で懸命に生き抜いてきた。

多数でバランスが崩れるからなどという問題より、官僚の勝手放題の無駄使いを許した国の成り立ちに問題があるのだ。

明治以来というが、国を主導し世界に誇れる国になったのは優秀な指導者と国民の汗なのだ。

アメリカの残した負の遺産が今日の日本を駄目にした。当時は二度と日本が力をつけないための手段を彼らは高じたのである。

有難がっている新憲法の中にはそれが隠されている。改正論者はその部部は排除したいというのが根本なのだが、直ちに第9条を守るのが目的の護憲派の意見に摩り替わってしまう。

大切な部分は残し、悪弊は正し、日本の将来を真摯に考えるときが来ているようだ。

与党も野党も再編して、真の日本党でも作って欲しいものである。