親に任せた初日
登下校と夜の就寝時刻全部娘に責任を持たせた。

夕方まではこちらの母屋に孫二人行き来して、夜早くママが風呂へいれ、就寝の段階で、孫娘が逃げ出してこちらの2階へ。

8時半を過ぎても眠れないで困った様子。弟が遊び半分で騒ぐから眠れない。何故と聞くと、ママは電話しているという。見ると友人に携帯のメールを必死で打っている。

「じいじが一緒にそちらへ行ってやる」というと安心して、寝室へ。あわてて娘も自分で寝かせると電話を切る。

孫娘は「やはりじいじでないと眠れない」と半泣き。ここは我慢の孫娘と私。

娘に任せて戻る。それからしばらく弟の甲高い声と音がしたが、孫娘はどうにか努力して寝入ったようだ。

まもなくパパの帰宅の車の音。9時を過ぎている。風呂を浴びて夕食だろう。

通勤に大変だというが、私のサラリーマン時代は付き合いもあったから夜中はざらだった。

連休などという言葉は無縁だった。仕事ない日は得意さんと飲みに行く。船乗りを連れて酒場へ。時には外人船乗りと一晩中港の酒場で飲み明かす。

ゴルフが流行し始めると、商社マンたちと打ちっぱなしの練習場へ。コースへ出るより練習が主。

本社から近辺のゴルフ会員権を至急買うようにとの通達。給料2万円時代に50万円の会員権は二年分の給料額に相当するから無駄使いに思われた。

それも2つの出来立てのほやほやを購入した。

お金儲けのうまい社長の先見だった。今日では買うことのではない高値。二つとも名古屋で最高のゴルフ場になっている。

私得意の脱線。今のサラリーマンは軟弱に見えるのは私が古いのか。