トレーシー・ローズ
 美人だ。一見して、ブリトニー・スピアーズレベルのアイドル的存在にも見える。が、写真で見る印象と実像とははるかな隔たりがある。何を隠そう、このぼくも当時のファンであり、裏ビデオの通信販売から入手しては、トレーシの肉体美と限りない猥褻さを楽しんでいた。が、その彼女が、当時15〜17歳だとは思いもかけることができなかった。どれほどの熟年になろうとも、あれほどの迫力ある生々しいシーンを演じることはまずできない。おそろしく淫らで、我慢できないほどに性欲をかきたてられる。が、汚らしさはそんなに感じさせない。

 このティーンエージャーの美人は、1980年代半ば、ハリウッドの裏舞台、アダルトポルノ界のクィーンだった。ブロンドの髪の小悪魔的な可愛らしい顔とメリハリのある豊満な肉体を目一杯使って、全身で欲望をむさぼる大胆なファックシーンで人気があり、一世を風靡したポルノ女優だ。

 アメリカのみならず日本にも来てポルノビデオに出演したこともあり、本番女優愛染恭子とレズプレイ対決をしたり、日本の男優を何人もイカせたりと、大活躍していた。
 
 が、18歳未満でポルノに出演していたことが発覚したため、ポルノ界から永久追放されるにいたる。その後、ポルノ界からは足を洗い、現在では一般映画に出演しているようである。


 以下はトレーシーが語る自伝からである。「その日、正体不明の料理とゼリーというランチが乗ったトレーを前に、私は学校のカフェテリアに座っていた。背後のテーブルで笑い声を立てる男の子たちのことは気にしないようにしていたけれど、そのうちの1人がヌード雑誌を手に近づいてきた。バン! という音を立てて、雑誌が私のテーブルの上に放り投げられた。プリーツスカートをはいて、手で胸を隠している女の子の写真が表紙だった。食べ物がのどに詰まった。なんとそれは私だった!」

 10代の少女がいかにして、一夜のうちに高校生から世界で最も有名なポルノ・スターになったのか。そしてなぜ? ノラ・クズマは12歳のときに母親と3人の姉妹とともに、安定した生活を求めて南カリフォルニアにやってきた。しかし長年にわたる性的虐待と親の育児放棄は、彼女をハリウッドの裏世界へ向かわせ、ヌードモデルエージェンシーの扉を叩かせることになった。

 生きるために苦労を重ねながら、彼女はトレーシー・ローズという名を使い、ペントハウスのトップモデルになった。15歳で世界的なポルノ・クイーンとなり、セックスと麻薬と嘘の世界におぼれ、18歳の誕生日を迎えた数日後にFBIが自宅を急襲するまで、それは続いた。

 著書『Traci Lords: Underneath It All』では、一人の若い女性が過去と和解し、勝算のない戦いに大勝利をおさめ、女優やレコーディングアーティストとして、そして、最も信じがたいことに、健康的で幸せな女性としての生活を手に入れた過程を描いている。また、強烈で、赤裸々かつ心を揺さぶる物語になっている。

 一昨年、プロ野球ドラフト会議直前、自由獲得枠で横浜への入団が確定していた、立教大学のエース多田野数人投手が、突如指名の回避をされた。その後、ドラフト注目選手であったにかかわらず、他の球団においても一切獲得の意思はなく、彼は一人渡米し、インディアンズ傘下の1A とマイナー契約を結んだ。国内では肘や肩の故障による見送りともっぱら噂されていた。

 が、アメリカに行って、昨年はめきめきと頭角を現し、今年はメジャー昇格も手の届くところへきている。有望株になっているのである。なんと一昨日、衝撃的なニュースが流れた。彼は大学時代、お金ほしさにゲイのポルノビデオに出演していたことが公表されたのだった。何を今さらと感じないわけではないが、日本球界はそのことを知っていた。スポーツという健全な世界で、ゲイのポルノに出演した選手を獲得するわけには行かないからだ。が、およそ一年余り、どうやって周知の事実に近かったその秘密をマスコミに封印することができたのだろうか?

 15歳の少女が大胆きわまりないファックシーンを演じることを、人間は知らぬふりをして、見逃すことができるものだろうか? いろいろな過ちがある。下降する気なら、人間は信じられない場所へまで行くつくことが可能だ。

 すでにアダルトビデオを見ることは苦痛になっている。あんなものを見ることに卒業したんだと思う。禁制の品物でなくなった今、どんな新手のものを提供されようと、辟易することはあっても高ぶりを覚えることはないだろう。でも、トレーシー・ローズだけはちがう。生半可な役者ではなかった。徹底的に性を演じていた。彼女は妖精のような悪魔で、ほろ苦い倒錯の味を教えてくれた。あの若さとみずみずしい肌が、エログロのしつこさをを緩和していた。かつてのトレーシー・ローズは、アダルトビデオの世界で永遠に不滅である。