教育
 小泉首相は2日、宮崎県の高校3年の女子生徒がイラクへの自衛隊派遣に慎重な対応を求める首相あての請願書と署名を提出したことについて、自衛隊がイラクで平和的貢献をすることを学校で教えるべきだと指摘、教育現場に異例の注文をつけた。

 小泉首相の弁である。「自衛隊は平和的貢献するんですよ。学校の先生も、よく生徒さんに話さないと。いい勉強になると思いますよ。この世の中、善意の人間だけで成り立っているわけじゃない。なぜ、警察官が必要か、なぜ軍隊が各国で必要か」

 内閣府によると、署名は女子生徒が集めた5358人分で、2日に生徒が提出した。請願書は「自衛隊派遣でない方法でイラク支援にあたってほしい」との内容という。


 署名は、なぜ女子生徒だけだったのだろう。男子生徒も教諭たちも加わっていなかった。いつもこの手の行動を耳にし、目にするたびに思うことがある。情緒的で付和雷同的なことが実に多いのだ。マスコミの取り上げかたにも問題は多いが、たいていが自己満足的なものと諦めに終始する。

 教育現場には団塊の世代、全共闘の世代の数が最も多い。彼らは未だにあの時代の名残をとどめていて、儀式に否応なく流される国家、「君が代」に口パクで反抗するだけだ。早晩、定年退職ということで彼らも徐々に姿を消していくだろうが、彼らのまき散らした拠り所のなさが教育界を被っている。

 イラク問題を、ベトナム戦争を、あの忌まわしい太平洋戦争の幾多のことを、教育の現場では膝を突き合わせて、生の声を聞き、真実に迫って、語り合うことがあるのだろうか? 太平洋戦争時代、戦争反対を唱えることは、即死刑を意味した。朕は国家であり、国民はすべて天皇陛下の御身のもとに命を捧げて当然と教育されていた。

 敗戦ののち、時代は変わり(アメリカに変えてもらった)、好き放題に戦争反対を叫べるようになった。が、彼らていどが反対しようがしまいが、1945年以降、日本では戦争は起こりえなかった。自衛隊という就職口ができ、希望者だけが自衛隊に入隊をする。現在のところ、世界各国にある徴兵制はわが国には存在していない。が、自衛隊員の活動がにわかに多忙になり、その責務が増大し、自衛隊員だけでは処理しきれない事態になったらどうなるだろうか?

 もっともっと深く歴史を学んで欲しい。毎年物議をかもすヤスクニの意味を知り、わだつみの声を聞き、欧米とわが国に植民地化された近隣諸国の歴史とその真実に目をそむけてはならない。広く浅く教育をすることはまちがっている。ひとの心を学ぶのに、うわべばかりではどうしようもない。