テロの時代
 権力はいつの時代にもある。それに対して蹂躙される民が限りなくいた。これまでの時代、その抵抗勢力は、方法こそちがえ、直接権力にたち向かったものだった。そして、矢折れ刀尽きようとも最低限の正義は守った。時に権力が敗れることがあったが、もがき苦しんだ長い年月を忘れることはできない。世界各地の民族の苦難の時代はいつ終息を見るのだろうか。

 自爆テロによる無差別殺人などという発想は悪魔の思想だ。彼らには決して神など存在せず、またこんな貧富の差がある世界を作った神は、ご都合主義の人間による虚構の存在なのだろう。神の名のもとに兵士を戦場へ送り、敵対する人々を殺したのがこれまでの戦争だった。ひとの心には神なるものと悪魔なるものが棲んでいる。神を信じるものはまさしく無神論者とイコールなのかもしれない。

 キリストとイスラム、創世記より共に血で血を洗ってきた宗教だ。地球規模で情勢が変化する二十一世紀の今日、絶対権力と力で対等に争う方法は皆無に等しい。テロは混乱を狙っている。罪なき人々を殺すことによって、権力者の失墜を狙っている。不毛な殺戮が不毛な殺意を呼び、今世紀は終わりなきテロの時代となってしまうみたいだ。

 未成年の大学生男子と高校生の女子が、計画通り家族の殺人を行った。「人を殺してみたかった」、警察の取調べに対して、異口同音にこう語ったという。反省の言葉らしきものは見られないようだ。殺人の対象に血を分けた肉親を選んだこと、人の命をいともあっさりと断ち切れたこと、あまりにも不毛な人心ではないか。そんな暗いニュースが毎日のように伝わってくる。

 テロリズムは地球の個々の人間にも伝播しているのではないかと思う。アナキストでもなく、過激派でもなく、カルト集団でもなく、ごくごく身近にいる人間たちにテロのウィルスが感染している。

 ブッシュもブレアーもプーチンもフセインもビンラディンも北の国の誰かも、み〜んなひっくるめて、南太平洋の小さな島の楽園で、ランチキパーティーでもさせたらどうなるだろう。

 そして誰もいなくなった、ならいいのかもしれない・・・。