仮面の顔
 ロック界のスーパースター、マイケル・ジャクソンが児童虐待の罪で逮捕された。人気の裏側で、マイケルの異質さは10年間あまりくすぶりつづけていた。検察が絶えず目を光らせていたといっても過言ではないだろう。個々の罪が確定すると、アメリカではそれが加算されて懲役年数が決まるので、最悪では200年くらい食らう可能性もあると、ある筋では推定している。むろん、無罪の可能性だってある。マイケルは金持ちだから、とびっきりすご腕の弁護士を雇うことができる。

 ロック好きだが、ぼくはマイケルの音楽を聴いたことがない。知らずと耳に入ったことはあるかもしれないが、彼と知って聴いたことはない。聴かないように努めてきた。

 人の顔はいろいろとある。美しいとか面白いとか平凡だとか。好き嫌いの好みもある。そんななかで、ぼくはいままでマイケル・ジャクソンほどの気色悪い顔を見たことがない。彼を初めて見たとき、ホラー映画の主人公のような、仮面をかぶっているんじゃないかと思ったものだ。あんな顔は天然にはできるもんじゃないと、そのおぞましさに衝撃を受けたほどだった。そして、ぼくには見るだけで気持ちが悪いマイケルが、なぜ世界中から人気を集めているのか理解できなかった。

 イスタンブールで同時爆弾テロがあった。世界中は毎日ニュースソースには事欠かない。ユダヤ教会堂や英国系銀行が爆破されたことを考えれば、犯行グループが何者であるか想像に難くない。でも、彼らの顔、フセインであれ、ビンラディンであれ、マイケルほどに信じ難い顔じゃない。どこにあっても不思議じゃないふつうのアラブ系人種の顔だ。

 整形手術をしているせいもあるのだろう。が、それだけじゃない。10年前の顔だって、ふつうの生身の顔だとはどうしてもぼくには思えない。きわめてアブノーマルで、自然とは程遠い有機質だった。フライデー13のジェイソンと変わりないのである。そんなぼくにマイケルは激白する。

 そんな暮らしをしていてわかるはずがない。ひとりひとりの人間がそれぞれの神をもっている。誰もが世界からも隣人からも切り離されている。自分の心以外の何がわかるというんだ。自分の苦しみ以外の何を感じるというんだ。むろん歓びもな!