普通の暮らし
 車検をかねて修理に出していたアリストが帰ってきた。ここ半年、キーの自動ロックが不具合だったのも直っていた。懸案のカーナビは、近いうちにオートバックスでつけるつもりだ。

 車くらいなくても暮らしていける。まだ車が買えない時分、よくそんなふうに思っていた。ぼくは借金をするのが嫌いだった。ローンを組むのがいやだった。お金が貯まるまでと辛抱しながら、そう自分をいいきかせていた。

 ちょうど一週間、車に乗らなかった。その間、チャリも使ったが、たいていは歩いていった。日曜日のゴルフは迎えに来てもらった。何ごとも周辺が便利になっているので、そんなに不自由さは感じなかった。いざとなりゃあかみさんのターセルがある。うちは以前からトヨタビスタとつきあいがあって、ぼくはTOYOTA車しか持ったことがない。

 便利だとか自由だとか、人はそれに慣れてしまうものだ。慣れてしまうと、そのことがたいして便利でも自由でもなくなり、その逆ばかりが気になるようになる。たとえば、レコードに針を乗せて音楽を聴くことなど、懐古趣味のひとでない限り、面倒きわまりないだろう。ノイズを防ぐために、表面の埃をクリーナーで丹念に拭き取ることはいわずもがなである。便利なCDに慣れてしまって、リモコン操作に慣れてしまって、視聴覚の世界までもが便利さに毒されているともいえなくはない。
 
 たいしたお金を持たずとも生きていけるひともいるし、いっぱいお金を持って生きるひともいる。が、そのことと幸不幸とはあまり関係がない。お金で物は買えるが幸福は買えない。物を買って味わう幸福など束の間のものだ。

 お金は魔物だという。あればあったで、いくらでも増やしたいと思うものだ。概して年をとるほど吝嗇になり、棺桶にまでお金を持って行こうとさえ考える。そこで骨肉の争いが起こり、ミステリーの始まりがある。遠い縁戚において、いかれた養子夫婦が財産に目がくらみ、遺言書に署名捺印しないと釜ユデでの刑に処すると義父を脅したとか脅していないとか。その義父は頑固者で、健康なうちに財産の配分を決めておかなかった。家族は慈善団体へでも寄付されるのではないかと訝っていた。そのため体を壊してのち、ひどい不遇に見舞われた。すでに夫人は亡く、心を込めて身の周りの世話をするものがいなかった。欲の皮の突っ張った親族に、世話と称してあの手この手で痛めつけられたのである。体が不自由になりはじめると、ひとは藁にもすがる思いになる。家という限られた場所の中で、ただただ食をさせてもらって、息をするために、やむなくすべてを養子夫婦に委ねるに至った。義父の死後、養子は好き放題やって、とどのつまりはいったん全財産を相続したかにあった。だが、思わぬところから反乱があり、ある日突然国税庁が押しかけ、追徴課税のあげく、脱税その他諸々の犯罪で一ヵ年の懲役刑に処せられたのである。欲ボケ連中のなかでも末端の口が軽いことはいうまでもない。それからおよそ七年、彼は未だ民事裁判を抱えていて、東奔西走の毎日となっている。刑務所で六法全書を貪るように読んで、さながら法律家気取りである。義父の死はバブル期だったから、法に則ってさえいれば、彼は少なくとも三十億円を手にしたといわれていた。法を犯した結果、三億円プラス一ヵ年のブタ箱入りだったのである。バカといえばバカ、彼ほどのバカはいない。が、バカですまされないことが残っている。係わった連中のほんとうの罪のあがないだ。できれば彼の死後、播磨焼煎餅殺人事件として、真相を明らかにしたいと思っている。沈黙は金、いやさ、沈黙は生命、我が身が大事だ。彼の存命中には真実を語ることは許されない。

 ぼくにも父があり、兄弟が四人いる。が、父の財産など当てにはしていない。父が残してくれるものがあったとして、それは四等分すればいいわけだし、たぶん、この住んでいる土地はぼくが相続するだろうから、キャッシュがあれば弟妹に三等分だ。だから、我が家は骨肉の争いにもミステリーにも縁がなさそうである。

 寄り道が長くなった。えらそうに金で幸福が買えないといった。が、やはりお金は欲しいのである。できればお金を自由に使いたい。ところで、青春期に比べて欲しいものがあまり流行のものではなくなった。切に欲しいもので、特別な物質というものが即座に見当たらない。強いて考えてみると、優雅なもの、広い空間、広い車内、ゆったりとした時間、美しい光景、美しい人、できれば表面だけではない美しい女性・・・エトセトラと、夢のようなことばかりが浮かんでくる。また、風呂敷を広げる気でいえば、ゴルフ場、湖の畔の温泉つきの別荘、豪華ヨット・・・と少々の成金ごときでは買えないものになってくる。

 あしたからまた、六年目に入るアリストに乗る。車検を受けたことであと二年は乗るはずだ。ぼくの普通の暮らしが戻ってくる。自由でもなく不自由でもない毎日、便利でもあれば便利でもない暮らし、そんなふうにぼくたちは生きている。たったひとつのもの、マシーンに揺り動かされながら。