ブロークン・ハート
 鈴虫が鳴いて、コスモスが咲いて、秋風が吹きはじめてよくよく考えてみたら、これをはじめて三年と半年がたった。そのころ息子は小学一年生だったし、石川釣月は明治大学の三年生だった。

 近頃更新が滞りがちである。年初より書いていた小説もどきも頓挫したままである。少々面倒くさくなっていることは事実である。脳細胞が弛緩しているのかもしれない。

 青年の石川がめったに姿を現さなくなったのは当然のことだ。日々のネットの世界を眺めてみると、それを生業(なりわい)としているものでなければ、日々更新などできるわけもない。社会の只中で生きている人々にとって、あまりに時間の余裕が少なすぎる。したいこと、しなくてはならないことがいっぱいあるのだ。

 どうして、ぼくがこの場所を継続してこられたのか不思議にさえ思う。まわりの人並み以上に文字を書き、稚拙なストーリーを連載してきたのかを。この世界のいろいろな人と出逢った。メールの上、実際に出会ったこともある。だが、ほとんどの人たちが通りすぎていった。

 継続されている人たちは、そのほとんどが女性だ。普段の周辺においても女性がその多くを占めている。そのなかでもたぶん主婦が多いのではないかと思う。家での時間に余裕がある人たちでないとネットは続けられない。

 ぼくは根気がないほうである。新たなことを会得することも苦手である。どうにかホームページなるものをこさえてはいるが、ただの文字の羅列にすぎない。タグを覚えたり、フラッシュなる手法を覚えることなど面倒きわまりない。

 継続されているみなさんの多くは、日々進歩がある。マイナーなGaiaxなる場所を卒業して、メジャーな世界へ足を踏み入れている人もいる。なんどかBBSで相手をしてもらったある方は、自分のサイトで自らの惜しげもない肉体美を披露して、たまたま入り込んだ男子たちを欲情させている。モデルなみの美しくエロチックなヌードであった。

 で、ぼくはひまではない。土日祝日は必ず休みだが、といって、デスクワークがないわけではない。このデスクワークなる仕事がよくないんだろうと思ったりする。退屈するとネットにつなぎがちだから。趣味がないわけではない。ゴルフ、ガーデニング、映画(主にビデオ)、読書などの趣味は生半可じゃない。家計を助けるため、副業のほうにも力を入れている。今年は力が入りすぎでもある。

 多忙である。多忙だと、エルキュール・ポアロほどじゃないが、灰色の脳細胞が働かない。三年間、力を出しすぎて、そろそろ充電期に入っているんだとも思う。肉体美を披露できる性でもないし、そんな若さでもない。夜のつきあいをきわめてしなくなった。PTAの役など二度と受けるものか。商工会議所なる場所への出入り、○○クラブなる団体、社団法人などへは絶対に入会しない。社交辞令で費やす時間ほど無駄な愚劣なものはないからだ。ゴルフは好きだが、接待、つきあいなるものは拒否している。

 ここ数年、こんなふうに意固地を張って生きてきたからここにぼくがいると思う。ぼくの現在の状況は岐路だとは思わないで欲しい。書けないから書かない、忙しいから書けない、疲れているから書けない。ただ、それだけのことである。石川よ、たまには顔を見せろ。多忙なのは、疲れているのはわかっている。金欠なのもわかっている。が、何か書け。しょうもないことを文字にしろ。

 秋の夜に、しみじみと海の上でのことを思い出す。ついこの間の夏の夜、客船の中でピアニストの調べを聴きながら、目の前にいた人のことをいとしく思う。海からの夜景は殊のほか美しかった。そんな気になった自分を切ないとさえ思う。みじめだとは思わないが、バカだとは思っている。