マトリックス症候群
 「フィールド・オブ・ドリームス」を見て以来、ほんとにいい映画にめぐりあっていないような気がする。記憶に残っているのはそれ以前の映画ばかり、ず〜っといっぱい映画を見てきているというのに。

 この数年、七月の第一週の土曜日は妻のバースデー祝いもかねて、三宮に家族が集合して贅沢な食事をしていた。ハーバーランドでコンチェルトのディナー・クルージングをしたのはおととし、去年はホテルオークラでのディナーショーだった。今年は八月の終わりに北海道旅行に行くため、ささやかなランチをサンマルクでとり、映画「マトリックス」を見るにとどめた。

 ぼく以外は「マトリックス」に夢中だった。小五の息子などはもう一度見ると席を立とうとしなかった。娘も妻もとても面白かったと異口同音に満足の言葉をかわしあった。ラストの「トゥ・ビー・コンティニュード」の文字で、早や次回の十一月の上映を待ちわびているようである。

 退屈したわけではないが、とても無機質な映画だとぼくは思う。消費文化の象徴のような映画だと思う。まるで超人気テレビゲームをそのまま劇場で公開しているようでもある。スミスというサングラスのマシーン男が次々と増殖して、主人公のネオと戦うシーンの長さには辟易してしまった。

 概して高配給収入の映画はエンターテイメント、娯楽作品だ。本日夜より「ターミネーター3」がオールナイトで封切られ、シリーズ物大流行の映画業界である。「ロード・オブ・ザ・リング」、「ハリーポッター」と続々と大物が控えている。それは一作としてのよい映画をというよりは、金が稼げる映画、興行として爆発的人気を博する映画作りを世界が求めているからだろうと考えもする。中途半端じゃない、べらぼうな稼ぎの連続をもくろんでいる。

 そのことを否定するつもりは、ぼくには毛頭ない。観客が要求し、喜ぶものを提供するのが本来の映画人の務めだからだ。けど、10作に1作くらいは成算を度外視した本物の映画作りに賭けてもらいたい。そのとき万が一不入りでも、必ず後世において評価されると信念を持てるものを。

 こんなことを言いながら、ぼくは時代に取り残されはじめてきたと少々危惧してもいる。「フィールド・オブ・ドリームス」以後も映画にはいつも楽しませてもらってきた。映画年表を見れば『ああ、これもよかった』という映画が次々と出てくるんだろうと思える。「海の上のピアニスト」があった、「グリーン・マイル」があった、というように。

 どうやらぼくは「マトリックスシンドローム」突入してしまったみたいだ。やれやれ、帰りの道中で小五の息子に映画解説をしてもらわなくてはならないとは、さすがの自分にも少々ヤキがまわってきた。