Band of Brothers
 「プライベート・ライアン」のスティーブン・スピルバーグとトム・ハンクスがコンビを組んで製作総指揮した、2001年ゴールデン・グローブ最優秀作品賞に輝いたテレビドラマである。

 が、十時間以上に及んでやたら長い。第二次世界大戦に参戦した、アメリカ陸軍空挺師団のエリート部隊の過酷な戦闘のプロセスを、兵士たちの人間模様を軸に描いたものである。ナチスドイツ相手の、いわゆるノルマンディー上陸作戦がそのドラマのはじまりであり、その後の戦いの激しさは歴史が示すとおりである。

 テレビドラマとしての制作費,約150億円はべらぼうなものであり,アメリカ国民の多くがこのドラマにくぎづけになったことは,昨年9月11日の貿易センタービル自爆テロ事件の経緯を勘案して想像に難くない。かの戦争とテロとは全くに関係ないことだが,アメリカ人の愛国心は,一時的に猛烈な広がりを見せた。

 「Band of Brothers」とは、シェークスピアの「ヘンリー5世」から引用されている。これは『戦いで血を流した者同士が兄弟の絆を感じる』という言葉に由来している。私たちは「戦友」という言葉を知ってはいても,その繋がりや絆というものを知ることは決してできない。

 戦後57年を経た現在でも,太平洋戦争の生き残りの戦友の会が各地で催されている。彼らのほとんどは80歳を超えているだろう。終戦の年,20歳だった若者がすでに77歳を迎えているからだ。そして、あと十数年過ぎれば、日本では現実的な戦友という言葉が死語となる。日本が二度と戦争をくりかえさない限り。

 「バンド・オブ・ブラザース」を見ながら,戦友というものを考えた。彼らは互いに凄まじく生死の境をさまよって生きている。仲間の死を目の当たりにし,日々死の恐怖に喘ぎ,命を賭した戦闘をくりかえし,生のために助けあって生きてきた。バトル・ロワイアルの只中で数少なく生き残ってきた仲間たち,それは兄弟の絆以上だろう。彼らがともに通りすぎた過去には,心の中に悲痛な傷が残されている。自分たちを殺戮に駆りたてたもの,無残な死を何度となく受け容れなくてはならなかったこと,そして生と死に無感覚になったこと。生きのびるためにはなんでもしたこと・・・・・。

 戦友に比べて,日常に使う親友という言葉はなんと軽いものだろうか。いつでも親友は自分の中で作ることができるし,反故にすることもできる。単なる友だちなんてのは軽くて風船のようだ。でも、戦友は自ら望んでできたわけじゃない。やむなく戦場で生死を共にし,生きるために敵を殺し,憎悪と恐怖にとりつかれ,神の掟を破って作りあげられた悲劇だった。殺さなきゃあ殺される,アドルフ・ヒットラーは実のところ、ウィリアム・シェークスピアの遺作だったのかもしれない。