THE OPEN CHAMPIONSHIP
第131回全英オープンゴルフ選手権 決勝ラウンド最終日
( July 18-21 Muirfield Scotland )

 3日目の不運な嵐を耐えに耐えた惟一人の男,南アフリカのアーニ―・エルスに勝利の女神は微笑んだ。誰が勝ち抜いてもおかしくないコースコンディションの中,サンデー・アフタヌーンのフェアウェイを最後に歩いてきて、栄冠を手にした男は10年前,22歳にしてUSオープンを手にした実力者だった。

 アーニ―・エルスは1995年に再度USオープンを手にしているが,以後タイガー・ウッズの出現によって,後塵を拝してきた。度重なるタイガーの優勝に甘んじてきたエルスは,その勝負弱さを指摘され,ミスターセカンドという喜ばしくない異名をもらったほどである。

 今回のTHE OPENの初優勝をエルスは心から喜んでいるが,タイガーに勝てたのは3日目の天候のおかげだとも言っている。いまの実力では,まだまだタイガーに及ばないことをわかっている。最終日のスコアだけ見れば,エルスはタイガーに5打負けていた。エルスはさらに言っている。今回の勝利は自分の忍耐であると。エルスは、いつまでも年下のタイガーの後塵を拝することを望んではいない。

 「僕の肩の上には弱虫の悪魔がいて,いつも大切なときになると、落ち込むようなことを小さな声でささやくんだ。今日も16番でダボを叩いたとき,また駄目かと思ったよ。でも、妻とメンタル・トレーナーのジュジュの励ましの言葉が助けてくれたね。17番のティーでドライバーを手に持ったとき,無心になれてたんだ。グッドショットだっただろう。バーディーがとれて,再びトップに並べたとき,プレーオフは僕のものだと思ったさ。だって、そうだろう。3日目の天候がタイガーのグランドスラムを妨いだのは確かだが、僕は同じ天候の下で、耐え続けたんだ。4人のプレーオフだって耐え続けてただろう。だから、今日の勝利があるんだよ。今日こそ,胸を張って、タイガーに勝った、と言いたいんだ」

 残念ながら,日本の丸山茂樹は一打及ばず,プレーオフに進めなかった。しかし,世界のトッププレーヤーの中で大健闘の5位タイである。惜しむらくは,四日間とも一時はトップにたちながら自滅したことである。三日目のスタートホールのバーディーで7アンダーになったが,そのままパーセーブを続けておれば,プレーオフのない単独優勝であったからである。最終日はアウトの9ホールだけでスコアを4つ伸ばし,6アンダーとし単独トップに立った。日本時間零時のときである。丸山茂樹の名前が,全英オープン最終日のリーディングボードのいちばん上に掲示された。

 おそらく,丸山はそれを見て優勝を意識しだしたにちがいない。インにはいって10番,13番の3パットという凡ミスは,メジャーの優勝という快挙に金縛りにあったような気分だったのだろう。だが,そのままずるずると後退せず,気を持ち直しての16,17番のバーディーは彼の成長を物語る。ゴルフにタラレバはつきものだが,あの短いパットが入っていたならと,日本人初のメジャートーナメント優勝の歓びを夢想させるに難くない。そして、それは近い将来へと期待を抱かせる。

 世界最古の歴史を誇るTHE OPEN、もうすでに3世紀にまたがってゴルフファンを魅了し続けている。それは世界中のゴルフファンが,勝者と敗者,敵味方ということではなく,一人一人のナイスプレイに拍手を送っているからでもある。私はそれが歴史と伝統というものだと思っている。

 他国の選手のナイスプレイに野次を飛ばすことほど醜いことはない。むろん,群集のブーイングにおいてもだ。