枇杷狩り
 五年生になる息子のクラスの児童たちが担任の先生に引率されてやってきた。五時間目の授業を終えて、みんなランドセルを担いでやってきた。我が家の庭の枇杷狩りにである。枇杷を見るのが始めての子供、食するのが初めての子供、直接実をもいで食べるのが初めての子供がいた。

 先生の指示の後、子供たちはたった一本の枇杷の木にいっせいに群がった。およそ三十分のあいだに、濃緑色の常緑の葉をおおいつくした小さなオレンジの実がなくなってしまった。自分の手で果実の皮がいとも簡単にむけることに驚いていた。小さな実のなかにある二粒の種が意外に大きいことに驚いていた。何度も歓声があがり、みんなとても楽しそうだった。あっという間に、黒のビニールのゴミ袋が皮と種でいっぱいになった。そして、ぼくは子供たちがこんなにも喜ぶことに驚いてしまった。

 枇杷(びわ)の木はここ数年でずいぶんと大きくなった。現在高さ六メートル、幅も六メートル、年々その成長はとどまることを知らない。北側にある柿の木との間隔がせばまり、ついに互いの枝が交差するほどになってしまった。どうやら落葉樹の柿の木は、今年の冬のあいだに常緑樹である枇杷の木に片側へ押しやられてしまいそうである。

 樹齢十五年余り、二年目に数個を結実させたこの木は、その成長とともに果実の数を増やし、五年前からは一千個を超えるほどになっていた。そして、今年は去年以上の鈴なりで、数えてはいないが五千ほどは成っていたと思う。

 枇杷の木はとても丈夫だ。病虫害のほとんどない作りやすい果実だ。植樹してより一度たりとも薬剤散布をしたことがない。また、柿のように隔年結実(一年おきに成り年がある)などではなく、その木の成長とともに果実の数はどんどんふえていく。

 けれど、たった三人の家族で食せる数は知れていて、カラスやヒヨドリの餌になるか、梅雨と高温によってわずか三週間あまりで腐ってしまう。

 今日の夕方のことである。ぼくが菜園に入ろうとしていたとき、犬を連れた近所のおばさんが声をかけてきた。

 「あれぇ〜、枇杷の実がなくなってる。とてもきれいなオレンジ色だったのに」

 彼女は元校長先生。現役を引退して、現在は悠々自適のご身分である。

 「上のほうはまだたくさんあるでしょう。カラスたちのために残しているんですよ」

 「届くところ全部おむぎになったの? 残念だわぁ。ちょっと分けていただきたかったのに」

 ぼくは今日の出来事を話さなかった。「脚立にのぼってとってさしあげましょうか?」

 「ありがとう。うれしいわ。お言葉に甘えて少しいただけるかしら」

 恐る恐る脚立の上に立ち、精いっぱい手を伸ばして、色と形のよい果実をとろうとした。やはり蚊がぼくを襲ってきた。ノーガードのときに限ってやつらは群れをなしてくる。怪我をするよりはまだ痒いほうがましだ。足元で待つ元校長に枇杷を手渡したとき、彼女は少々紅潮して微笑んだ。

 「子供たちに実体験をさせてやれたらと思うわ。こんなふうに自分で実を取って食べること、今の子供は経験できないのよ。せっかくこんないい実がたくさん成るというのに・・・、毎年もったいないでしょ?」

 うん? ああ、そういうことだったのか。父(息子の祖父)が担任の先生に『枇杷をさしあげたい』という手紙をことづてたこと、おそらくこれは父とこの元校長との話に端を発したものなのだろう。

 「実は今日、息子のクラスの児童たちがやってきたんです。だから、きれいさっぱりです。おなかいっぱい食べて、残りは持って帰りました。みんなとても喜んでいました」

 「そう、それはよかった。いいことされましたね。子供たちにはとても大切なことなの。そんなことと思えるような些細な自然のことがね」

 ぼくは相槌を打った。勘ぐるようなことも言わなかった。年長の二人が考えたこと、それは予想以上の好結果をもたらしたのだから。

編集 ヨーダ&梅干し : 凄いな―
編集 石井三枝 : 枇杷を庭に植えたいのですが、縁起が悪いと母が言っていました。悩んでいます。