訃報
もうあまり縁のないことだと思っていたが、、、。
mikiharbの父の妹、福岡に住んでいたが、もう何年も病院を出たり入ったり、、、。
つい先日10日に暮れに肺炎を起こして入院していたがそれも治り、転院したばかりなのに。
これから施設入所を待つ予定だった。
突然の親戚からのメールに驚いてしまう。
娘二人いるが、長女は20代に大きな腹部の大手術をし、今は体力的にも落ちてきて足の骨折をしたり、低栄養になって入退院を繰り返しながら何とかヘルパーを依頼して家で頑張ってる、次女は公務員、次女が母親と姉を世話していたんだけれど。
mikiharbにとっては最後に残った叔母だった。
数年前、電話でけんかになり、会っていない。
せめて顔だけでも見たかったけれど、今回は19日からのツアー旅行を予定しており、これだけは外せないと思ったので弔電を送り、後日家にお邪魔することとした。
父の末の妹、連れて行ってやりたいが、出かけるのを嫌い父は動こうとしない。
後日代理でお参りをしてこよう。

mikiharbもいい年になった、これからは親戚の年上の者が一人、二人、、、、といなくなってしまう年代になってしまった。
母が亡くなった時は突然のことで葬儀をつつがなく終わらせることに精一杯で悲しみとか感情的になってる暇はなかった。
後でいろんな思いが次々に湧きおこり、涙が途切れることがなかった。

叔母の思い出の中で強烈だったのは、長女を出産するのに実家でお産をしたこと。
mikiharbの妹や弟も実家でお産したはずだが記憶にはない。
叔母の出産のときのあわただしさだけは記憶に残ってる。
その時に生まれた子が、今は57歳?かな。
遠い昔のことをふっと思い出した。
昔は家で出産をしたので、叔母は実家に戻り、お産が始まるころ、父は田舎の山道を走って産婆さんを呼びに行った。
山道4キロくらいだったかな?
車も何もない時代だったから、父はきつかっただろうけれど、走るのが速かったから、、、。
家では母があわただしく布団の準備をしたり大釜に水をいっぱいに溜めて沸かしたり、、、。
mikiharb達兄妹は近づくなと言われて、隣の部屋へ出たり入ったり、、、。
縁側のガラス越しに部屋を覗いては叱られたりしながら、無事に従姉妹が生まれたのを思い出した。

mikiharbが一番叔母に似ているとよくいわれたものだ。
叔母もかわいがってくれたが、数年前に電話でけんかしてしまった。
あれから一度も話もしていない。
去年従姉妹の介護でお邪魔した時も叔母は病院だったので顔を合わせることもなかった。
10数年前の思い出しか残っていない。
そんな叔母のことを考えていたら、涙が出てきた。
何の涙なのか?
父の不憫さや叔母への思いからなのか?
会えなかったことへの悔いの涙なのか?

とにかく最期は笑うように息を引き取ったという従姉妹の話だったのがせめての救いになった。

23日まで用事があるのでそれが片付いたら家を訪ねて手を合わせてくる予定だ。

あとは残された父のことをしっかり見届けなくては。
すぐにでも帰ってあげたいところだがどうにもならない。
せめて電話で話し相手をすることにしよう。

編集 mikiharb : 南天さん、(*・ェ・*)ノ~☆オハヨウ♪伊勢さんに出かけてました。やっと心のしこりが一つとれた感じです
編集 南天 : 昔大人だった親戚がすっかり年を取って旅立つのはかなり寂しいね。自分はどう消えていくのかとふっと考える機会になります。