オールド・ファッション
 時代物のステレオは、今ではアンティックでさえある。ブラックトーンでイメージされたトリオ(ケンウッド)のプレーヤー、アンプ、チューナー、カセットデッキ、そしてばかでかい左右のスピーカーのセットは、今ではこの部屋の飾り同様になってしまった。もちろんレコードのコレクションも、なつかしさだけが残る雑誌の表紙のようだ。

 カセットデッキでダビングしたテープ群もひどく音質が悪い。デスクの片隅にある、パイオニアのミニコンポから流れいでるデジタル音にはぜんぜん敵わない。むかしの曲だけはアナログでと意地をはっていた。が、日々ひどくなるピイピイガアガアには嫌気がさした。針がだめになったところで、引導を渡すことにした。お役ごめん、代々に引き継がれるであろう?、ビートルズ世代の名残のようなものになってしまった。

 で、好きな曲、気に入ったアルバムをレンタルしてきて、片っ端からPCで焼きつけている。MDでもいいのだが、CDのほうがコンポに複数枚入れられるので、連続して流すのには具合がいい。最近のものにはコピーガードがついているが、あんまりぼくには関係がない。井上陽水、吉田拓郎、YES、キャロル・キング、イーグルス、トム・ウェイツ、坂本龍一、ジャニス・ジョプリン、ニール・ヤング、レッド・ツェッペリン、エトセトラ、エトセトラ。

 音質のよさは仕事のはかどりをよくする。部屋の空気をかろやかにする。むかしの音質に未練がなくはないが、こだわってばかりいてもしかたがない。といって、ボブ・ディラン全集をネットオークションにかけるつもりなど毛頭ない。彼らはただ部屋にいてくれるだけでいい。すりきれた「THE FREEWHEELIN' BOB DYLAN 」や「Let It Be」、「Harvest」、「氷の世界」などは、そのLP版のジャケットだけで存在感がある。

 ぼくはデジタルの音質で、かつての音楽を聴いている。そこにはメカ文明に毒されたようなイメージはなく、さらにきらめいて、透明な世界が漂っている。ぼくはそれらをやすやすとハミングできる。数十回、もしくは百回以上繰り返し繰り返し聴いた曲ばかりだからだ。ハミングするとき、ぼくは歳月のいろんな場所へたどり着くことができる。全く忘却していた場所へもどれることさえある。そして、未知なる音楽がそこに加わって、ぼくの新たな歳月が始まっていく。