雪景色の朝
 暖冬だったきのうまでとはうって変わって、猛烈に吹雪いている。これでは明日のゴルフは中止だろう。雨でも台風でもゴルフ場はクローズしないが、雪の中ではボールを打つことも、打ったボールを見つけることもできない。白いグリーンでパターをしたところで、ゴルフボールは雪だるまになるだけだ。

 きのうの「北の国から」は晴れていた。おとといのは雪ばかりだった。田中邦衛が若大将シリーズの加山雄三の相手役青大将を演じていたころから、彼の風貌はほとんど変わっていない気がする。むかしからしわくちゃな顔つきで、その性格俳優ぶりをいかんなく発揮していた。彼を見ていると、時代の流れをあまり感じない。

 やたら涙するシーンが多いのは、登場人物が紆余曲折な人生を送っているかにある。が、ある面、五郎を理想的な父親像として描こうとする倉本聡の作意が見える。忘れられた日本人の良さ、失われていく人間関係、よき家族というものを、試行錯誤しながら見つけていこうとする、また視聴者に気づいてほしいと願っている。そんなふうにドラマのテーマを感じるのだ。

 が、あんな美しい自然の中で育ち、愛情いっぱいの父親に育てられた子供たちが、あのような人生を歩むだろうか。確かに世間は冷たく、まっとうに生きる人間に過酷な運命をもたらすことがある。五郎は古きよき人間像なのであろう。加えてかたくなな。そこに日本人が好む浪花節調を感じとってしまう。美しい北海道の自然の中で、人々の心の機微を映し出しながら、絶え間ない苦悩と疲弊と愛惜が、さだまさしの音楽にかもしだされて流れていく。

 この夏、道東旅行をし、最後に富良野へ立ち寄ったとき、すでに五郎の家は観光地化していた。富良野のいちばんの観光名物がラベンダー畑だったのは、かつてのことになっていた。平日だったが、多くの旅行者が往来をし、つつましやかだった初期の五郎の家を静かに見ることはできなかった。そこを外れ、深く森の中へ入り、森林浴をしていると、キタキツネを見つけた。しじまの中で見つけた一匹の動物、彼が北の国のほんとうの生き証人だったのかもしれない。

 12年前、富良野を訪れたとき、五郎の家は観光地ではなかった。むろん、ぼくは「北の国から」のドラマを知らなかった。七月のさわやかな季節で、ラベンダー畑を堪能しながら、姉妹都市の面々と友好を暖めあったものだった。ほかの富良野の観光はと尋ねたとき、その舞台の話しは出なかった。富良野観光はもっぱら自然の美しさであり、道央から見渡せる連峰だった。

 少し太陽が顔を覗かせたり隠れたりしている。この地方ではめったなことでは積雪し、根雪とはならない。厳しい北海道の自然を思い浮かべる。厳しい自然と向き合って生きることは、ふつうの暮らしよりは厳しいものだ。大自然の中で生きていると、人のちっぽけな運命なんて、どうとでも変化するような気がしてきた。それが北の国からの便りなんだろうと思えてもきた。

 安逸にお涙頂戴はしたくない。作者の意図するままに流されたくない。人生で、人は泣いたり笑ったり、怒ったり、めげたりする。「北の国から」はそんなものを凝縮して描いていると思う。わずかに見ただけだが、「北の国から」というドラマを、今のところ、ぼくはあんまり評価できない。初めから見ていないせいもあるだろう。感動のフィナーレをかざるために、何度も何度も苦悩を繰り返し、そしてひとつの命を全うさせようとする・・・、少々うざったいのである。さて、今夜を見て、どんなふうに気持ちに変化が出るか、どうにもこうにもひねくれものは扱いにくい。

 ぼくは両親によく言われてきた。「おまえはさめている」と。そんなことはない。ぼくは人一倍感動性で、ひとり映画館で何度も泣いていたというのに。また、ひどく吹雪いてきた。車で出かけられそうにない。携帯にメールが入ったようだ。それを見てから息子と雪合戦でもやることにしよう。雪だるまも作ろう。一年に一度あるかないかの雪の週末なのだから。