11th 
 今日は息子の11歳の誕生日である。

 11年前の12月18日の深夜、スナックでカラオケを歌っていた。桑田の「スキップ・ビート」をノリノリで歌っているときだった。ポケベルが鳴った。また、飲み屋のねえちゃんからだろうと思った。スケベェ、スケベェ♪と声をからしながら、鳴り続けるポケベルをしかたなく見たとき、それは自宅の番号だった。不吉さを感じてすぐに電話をかけた。近場にいてよかったと、そのとき思った。

 受話器からは妻の「破水した!」の一言だけ聞こえた。あわてて車に乗り、家へ帰り、即病院へ駆け込んだ。予定日は翌年の1月25日だった。まさか年内とは、予期せぬことだった。が、予感が全くなかったわけでもない。妊娠初期のころ、切迫流産で、24時間点滴を一週間足らず受けて、どうにかもちこたえていたのだから。

 日付が変わったころ、病院へ着き、それから約二時間後、息子は生まれた。早産の未熟児で、生まれ出でた肌の色は真っ白だった。まだ胎盤に中にいる状態から外へ出てしまったからだ。息子は体を洗われ、赤みがかった肌の色になって、保育器に入れられた。鼻からチューブを突っ込まれ、痛々しかった。それでも息子は保育器の中ですくすくと育っていった。先に退院した妻はせっせと母乳をやりに病院へ通い続けた。そして、息子が退院したのは分娩予定日だった1月25日、先天的な障害もなく、これまで心身ともに無事に育ってきてくれた。

 先ほど、バースデーソングを歌って、お祝いをしてやったところだ。10代になって、幼さが少し減り、やや生意気になりつつある。が、祝福されるときの笑顔は子供にしかないすがすがしさだ。なんのうれいもなく、純に喜べている。今のままの気持ちをすこやかに育みながら、少年時代を歩んでいってほしいと願う。そして、「親がなくても子は育つ、親がいるから子が育たぬ」といわれないように、自らを律していきたいと思うのである。

 さて、「北の国から」が始まる時刻だ。きのうはじめてあのドラマを見て、まさか昭和56年からのものだとは思わなかった。ぼくはそのころ忙しくて、テレビドラマなんて見ている時間がなかったからだ。純や蛍の幼年時代の映像を見て、彼らがそのまま大人に育っているのではないかと気づき、検索にかけたら、まさにちょうど20年の大河ドラマになっていた。なんと子役がそのまま成人して、大人の役を演じていた。うそのような発見だった。今日の息子はその初めのほうにいる。どんな息子に育っていくのか、どんな父親でいることができるのか、まだまだ先は長い。