投資の勧め
 労働でなく、お金でお金を生み出す方法、それは投資である。一般的に投資というものは、危険や胡散臭さがついてまわる。また、ローリスクと安心させる商品ほど、ハイリスクであることが多い。それならば、やっぱりハイリスク、ハイリターンを選択するほうがいい。リスク覚悟で大損をしても、だまされたと恨んだり、泣きわめいたりせずにすむ。が、ぼくはそんな相場を張る勧めはしない。闇雲に株を買うこと、投資信託を買うことはやめておいたほうがよい。やられたとき、精神衛生上、非常に好ましくないからだ。無知な投資ほど怖ろしいものはない。

 それなりに損の痛みを知り、投資というものの勉強ができてくると、ほどほどのリスクでハイリターンを得ることができる。最近の三井住友銀行の店頭で目にするポスター、米ドル債と日本株投資信託。とりわけ日本株投信のほうは、年初より19%の上昇と買いあおりをしている。メガバンクだから安心だと、これを進んで買うようじゃ、投資をする資格はない。銀行という金融機関は結果を見てからでしか考えることができない。

 去年の末より、今年の四月までの日本株の暴落時、銀行マンは、株ほど危ないものはないと説き、国債ばかりを勧めていた。銀行マンはお金の枚数を数えるのは上手だが、運用に関してはずぶの素人より始末が悪い。うぬぼれとも知らず、知識があると自負しているからである。4年前のネットバブル時、株価がピークのとき、小金持ちのおばさんに、前年のデーターをもとにいちばんボランティリティーの高い投信を勧めていた。半年後、そのおばさんが二階の同じ場所で、代わりの担当者に泣きわめいていた。1.000万円が700万円になった、どうしてくれるのよと。そのとき700万円で売却しておれば、損は300万円ですんでいたが、今なら少し値をもどしたが半分の500万円である。転勤族は後の責任がなくて幸いである。が、投資はすべて自己責任、進んで買おうが勧められて買おうが、同じことである。

 で、包み隠さず申し上げると、ぼくが本格的に投資なるものをはじめて10年余。初めのころはわからないことが多くて、証券マンを疑いつつも信用して、もうかったり、損をしたりのどたばた投資だった。損がかさむとノイローゼ気味になり、このままじゃ健康に悪いと、「ええい成り行きで売ってしまえ!」と大損をしたこともある。が、決して泣いたり、営業マンに怒鳴ったりはしなかった。忍の一字、耐えに耐え、おいしい商品がやってくるのを手練手管で待っていた。

 あのころの手練手管とは、今になって思うと未熟なものだった。この十年の間にぼくと営業マンの年齢が逆転をし、専門的用語やシステム的なことを除けば、経験に基づくノウハウは支店長レベルと大してちがわなくなった。いや、支店長は日常の実務を行っていないから、生々しい相場の現況はぼくのほうが熟知しているといっていい。

 あせみずたらして働いて得たお金をさらに増やす方法。それはやはり投資である。それは安易ではない。が、生きるか死ぬかいった修羅場をくぐり抜けねばならぬようなものでもない。あわよくばと、二倍、三倍、四倍と大もうけを望まねば。ぼくの投資方法は、小リスク、ミドルリターンである。年間を通して、資金の10%を増やす、ちょうど10年間を平均して、毎年その目標を達成することができた。残念ながら、そのコツを紙面で説明することはできない。

 インターネットが普及して、情報が手に入りやすくなった。インターネット証券では格安の手数料で、株の売買をすることができる。大手証券会社と相対の取引を混ぜ、いかに自分の望むものを、どれだけ確保できるか、またつきあいの範囲でのものを些少の損、もしくはチャラで逃げ切れるか、そんなふうにしてぼくの10年がすぎていった。かなりの神経をすり減らした。肉体疲労以上のどうしようもない疲労を感じるときが、年に数回あった。たぶん、それは、しばしうつ状態に陥っていたのだろうと、今になって思う。

 今年の利益も確定した。ネットバブル時に次ぐ成果だった。が、今年いっぱいでやめようかとも考える。インターネットのおかげで知りすぎることがある。光の速さでジャッジを下していると、頭が朦朧とすることがある。電話でやっているころは時間に追われなかった。が、今さらアナログからデジタルに変わったことを・・・、もとにもどせるわけがない。とにもかくにも疲れやすい時代になった。

 楽をしてお金儲けをすることはできない。投資の勧めとは、まず第一に経済の勉強をすることである。基本的なグローバル経済が理解できてはじめて、投資というレールの上に立つことができる。それは紆余曲折の長い道のりでもある。自己責任のもと、今以上の物質的優雅さを求めるならば、投資というものを学び、投資というものに真摯に打ち込んでいくことをお勧めする。それは決して安逸なものではなく、神経戦であることをご承知いただきたい。相場などというものを張らず、ビジネスとして取り組めたなら、投資は継続的に報われるのである。