失政
 公共工事という名の道路行政には常に利権が絡んでいる。ひとつのバイパスをつけただけで、これまでの道路(通り)沿線がすたれていき、地元の商業者が廃店を余儀なくされる。

 ぼくの家は閑静な住宅地に位置している。が、ほんのわずか北東へ行くと、つい5〜6年前まで田園地帯だったところがある。歩いていける距離の同じ町ととなりの町だ。多くの田園を壊し、バイパスが貫通すると、あっという間に次々とチェーン店が出店してきた。今ではコンビニはいうに及ばず、深夜でもネオンサインが点滅するけばけばしい地域に変貌した。たった500メートルほどの道路の両側にである。

 マックスバリュー、スーパーサトウ、ジョイフル、ユニクロ、オートバックス、カメラのキタムラ、ホームセンタージュンテンドー、青山、牛角、トリドール、大吉、TSUTAYA、枚挙にいとまがないほどだ。建物の敷地はもちろん、その数倍の駐車場スペースの田園が消えてしまった。子供のころ、こぶなとりをした小川がなくなり、毎年1月15日にとんどをした場所も消えてしまった。

 西の山に夕陽が沈むのを見ながら家路についた線路道、そもそもJRの廃線がきっかけだった。大店法という社会主義的法律が稼動していたころ、時代はまだ成長期にあった。かのニチイ(マイカル)もダイエーも西友も発展途上もしくは成熟期だった。地元商店の大型店出店反対の雄叫びがすさまじかったころ、地域の商業の停滞を、行政は手をこまねいて見ているだけだった。

 ときおり帰省する友人が嘆く。ふるさとも思い出がなくなったような気がすると。ところかまわず氾濫するけばけばしい商看板、チェーンストア、ビルド&スクラップ、それによってかつての光景は見るも無残なものになってしまった。街作りとは、付け焼刃で行うものじゃない。自由な世の中ですべての出店を規制することはできないが、それぞれの業種、産業で集積を計画することは可能だ。

 かつての市の中心部がひどくすたれ、高齢化社会の象徴のようになり、美しかった田園地帯がハイエナのような利権に奪われてしまう。大地主は安楽に富を得、人々はすさんだ道路を走ることになった。近所の奥さんは買い物が便利になったという。なるほど以前より近くはなった。が、地価評価が上がり、固定資産税が高くなることまでは計算にないらしい。もちろん不動産の相続税もである。

 たぶん、10年後にはまた新たな道路ができるだろう。今回と同じように。前回と同じように。そして、なくなった田園は決して元にはもどらず、契約満了もしくは退店撤退となった汚らしい建物が残るだけだ。生来のひねくれもののぼくは、列挙したチェーンストアへの買いものに一度も行ったことがなく、かみさん孝行にと行こうとすらしない。買い物は、可能な限り昔馴染みの店でしてやりたい。それは信念ではなく変哲なのだとわかっている。けど、大学を出て20年足らず、流通の世界で仕事をしてきたぼくは、足を洗った現在においても、お客さんと接する仁義というものだけは忘却できずにいるのである。

 新たな道路を作れば旧の道路がすたれる。利便性を求めた道路行政は、往々にして失政である。別段なくても困らないものを公共事業としてやっつけ、地方の財源減らしを斟酌なく行う。どこもかしこも借金まみれだというのに、日本国の隅々までが骨の髄まで能天気になってしまった。