愛と資本主義
 ビデオ録画していたのを昨夜見た。WOWOWのドラマ化は大失敗だった。各シーンで、ポップスのようなリフレインがやたら多くて、物語は行きつ戻りつした。事情により監督が変更になったと、11月号WOWOW誌には書いてある。どうにも脚本が綿密に作られていなかったんじゃないかと感じた。実に退屈で面白くなかったのである。原作を読んでいないのでよくはわからないが、作者中村うさぎと主演高橋恵子の、ホストにはまる女についてのトークを再度読むと、少々白々しいような気がした。二人はドラマのできを気に入っているというよりは、単にドラマの宣伝をしているにすぎなかった。結果的に、ぼくは二人にドラマを見ることを煽られていたのだった。

 ホストクラブ通いをするナツミ、高橋恵子はふつうの着飾ったおばさんだった。年相応以上に老けていた。セクシーでも魅力的でもなかった。同年齢のころの三田佳子や岩下志麻あたりと比べて格段に落ちる。せいぜい竹下恵子レベル、樹木希林よりはましだが、あの演技のほどでは大竹しのぶに劣るかもしれない。

 本気で、お金で愛を買おうとしていた人物などどこにもいなくて、空虚な人間ばかりだった。ホストとホステスのちがい、それは男と女のちがいかもしれない。男は遊びでホステスを口説こうとする。ドラマでは、客の女たちは片っ端から主人公のホストに惚れていた。わざわざ『愛はお金で買えませんね(笑)』と作者が語るのは陳腐ですらある。『なんだか別世界の話みたいです』と返事する高橋恵子もただ話を合わせているだけ。やっぱりナツミには作者のほうが似合っていた。

 愛は歓びが激しいだけ、苦しみをももたらす。大金で愛を錯覚することはできる。錯覚したままでいることもあるだろう、金が続く限り。が、常に不安はつきまとっている。信頼は愛よりずっと手に入れにくいものだから。