日本語
 年々子供たちの言葉が標準化されてきた。年齢が若くなるほど地方の方言(訛り)が薄らいでいる。それは国語教育が充実しているからではなく、テレビを主としたマスメディアの影響が大なのだろう。テレビゲームの音声、流行の歌のアクセント、そして、洋画の吹き替え。

 といって、関西で育った子供が東京言葉を話すわけじゃない。話し言葉の微妙なアクセントは従来のままだ。NHKの朝ドラ「てるてる家族」は、大阪府の池田市が舞台となっている。なかにし礼脚本の、ミュージカル的ナツメロ的ドラマをなつかしく楽しんでいるひとも多いことだろう。あれがいわゆるガラの悪くないほうの、従来からの大阪の言葉だと思う。が、大阪の言葉を総じて関西弁と決めつけるのは正しくない。京都、泉南、和歌山、奈良、神戸阪神、播磨・・・などなど、同じ関西に住む人間においては、それぞれに異なった言葉群がある。

 地名のアクセントは、NHKのアナウンサーのそれとその土地に住む人のそれとはどちらが正しいのだろうか。ぼくは、その土地で生まれた地名を、あえて標準語化させることが誤りだと思う。地名のアクセントは概して平板である。姫路や豊岡を、東京のアナウンサーは、『ひめじ』『とよおか』と発音する。市や城をつけると平板になるのに不思議なことだ。もちろん、地元や兵庫県のたいていの人は、いずれも平板で発音する。が、唯一、「てるてる家族」の池田市の池田だけは、地元大阪では『いけだ』と発音するのである。ぼくはといえば、もちろん平板で『いけだ』と呼ぶ。ある面、地方地方のアクセントはなかなかに面白いといえる。

 一般的に、全国の日本語のなかで、東京言葉が正しいと、標準語だと考えられているきらいがある。また一方で、日本語の乱れが人々の口にのぼって以来、その乱れは激しさを増すばかりだ。子供たちの言葉の標準化の様相を好ましくみるべきなのかどうか、理想的な日本語に近づいているとはいいがたい気がする。

 ぼくは思う。理想的な標準日本語というものは、全国各地の方言から粋を集めた、豊かな、しかも洗練された言語体系ではなくてはならない。それは日常の生活言語に加えて、基本的な東京語を自分のものにすることではないかと。これからの子供たちに、あたたかな、ほのぼのとした日本語を、切に話してもらいたいのである。