命がけの恋ができるかと問われれば、否である。妻子を捨ててあたしを選んでと懇願されれば、胸打たれるも逃げ出すだろう。が、まずもってそんな状況に追い込まれるほどに、心とろけるような相手に巡りあえることがない。

 他人の一般的に許されぬ色恋をよく見るが、その相手のたいていが奥さんよりも見劣りがする。若さなら優っているかもしれないが、奥さんを同じ年齢にタイムスリップさせれば、それもまた同様のことが多い。

 既婚の男はわかっていながら、よその女を求めたがる。いや、独身の男もよく二股をかけたりする。人はみんな寂しいものだと、歌の文句によく出てくる。生きているだけで切なかったり、人恋しかったり・・・。いつもそばに誰かがいて欲しい。

 男と女の関係は純なものだったり、不純なものだったり・・・。長いあいだ生きていると、身勝手なことが多いことを実感する。男も女も自分の居場所だけは確保しておきたい。そうして、満たされない感情を外に求めようとする。わくわくするようなときめきは、安住の地には見出しにくいものだと思う。

 実際、切なかったり寂しかったりするのは束の間のことなのに、それが絶え間なく続いているような錯覚を感じる。憐れなタイプの人間の性(さが)だ。恋なんて二度とできないとあきらめているとき、不意に恋がやってきたりする。ほんとうはそんなことはありきたりで、無謀でもなんでもないのだけれど、シングルでないだけに、ちっぽけな恋だというのに、甘い誘惑に悶々とする。

 そうして、現代版でいえば、携帯の着信音に異常に敏感になるのである。ケータイ依存症候群、だいたいは人妻に多いのだが、最近は中高年の男性にも増えているという。

 で、ぼくが恋をしていたかどうか、切ない思いをしたかどうか、はてまた冒頭の命がけの恋の対象なる女性が存在したかどうか・・・、それは永遠に秘密なのである。いえることは、男はいつもロマンチストたるべきで、恋を忘れてはならないということ。ただし、卑怯な行動だけはやってはならない。

 経験則ではないけれど、アバンチュールを楽しみたいという女性にだけはご用心。。