白い一日
 つきあう人には事欠かないが、本質的な価値観を同じくする人に飢えている。話題はたいてい巷のこと、趣味のゴルフのこと、そして仕事のこと。憧憬することなど語ろうにも、大人気ないと、誰も胸の奥底にしまっている。

 ぼくの一日は、相対する人物とは至極通俗的だ。俗っぽくあることが日々の暮らしをたやすくする。人の価値観はそれぞれに違う。が、欲しいもののたいていが似通っている。健康、お金、愛人乃至恋人、高価な物質、自由な時間。そのいずれかの話題をもってすれば、普段の対人関係には十分だ。

 うわべだけの対話、彼らには、ぼくは悠々自適で、ゴルフ好きで、金融通で、堅い仕事をすることで通っている。女好きだと思っている人もいるかもしれない。が、家庭を顧みない不埒者だとは思われていない。ぼくがネットをしていること、20年来のガーデニング通だということ、映画や小説を趣味にしていること、ロックやポップスが好きだということについては、日々接するほとんどの人々が知っていない。そういったことに彼らは関心がなく、ぼくが語るに足る余地がない。

 みなさんのサイトへ行って、映画や小説の感想を読むのは楽しい。小粋なエッセイも好ましく拝見している。巧拙ではなく、ひとそれぞれに言葉の才能があり、その感性やデリカシーが小気味よく伝わってくる。申し訳ないが、日常の苦悩が綴られているのを読むのは苦手だ。また、人生相談には困惑させられることが多い。赤の他人がもったいぶって、無責任なことはいえないからだ。ガーデニングの部屋は大好きだ。同じ植物の栽培を知ったとき、わがことのようにうれしくなる。

 ぼくはひとり本を読み、映画を見る。植物を栽培する。が、そのことを語り合う相手は、現実にはあまりいない。面白かったかそうでなかったか、そのことすらに言葉を持たない。あの時代の友人たちはみんな遠く離れてしまった。だから、ぼくはこの場所にいるのだろうと、よく思う。

 ただ、道ゆく人たちは花壇を眺めながら歩いてくれる。「ああきれい!」、「よく手入れされていますね」、「この花の名前は何というんですか?」、夕飯のとき、妻がこんな言葉を話してくれるとき、花壇に花を絶やすことはできないと思う。

 自分のほうからめったに掲示板に書き込まない。いつも決まった時間にログ跡を残す人が数名いる。が、ぼくはそんな暇つぶしをしたり、システムを作るつもりは毛頭ない。限られた時間で、自分が書くことと読むことだけで精一杯だ。加えていうなら公開掲示板は得意じゃない。相対でメールでやりとりするほうが、ぼくには向いている。だから、あんまり書き込みをしないことを理解して欲しい。

 ビートルズのホワイトアルバムを真似て、自分のサイトを「The White Album」と名づけている。もちろんビートルズのあのアルバムが好きだったからではあるが、自分の一日を空虚だと感じ、それが白い色だと思ったからでもある。ありきたりなタイトルをよして、「The White Day」と変えてみようかと思うこともある。

 今日もそんな一日が終わった。ゴルフに遊び、賭けをし、夕食をとりながら談笑した。スポーツは楽しく、肉体は快適だった。けれど、満たされない何か、眠る前の空虚さ、真っ白な天井のクロスを眺めながら、小椋佳の歌の文句のように、ぼくの一日がすぎていく。

 白い一日