坂道
 いつもは車で行くところまで歩いていった。小学校、高校時代にいつも通学していた道を通った。狭くて、車が通れないようなところもある。小学校は当時の場所にあるが、高校はかなり以前に市の学園都市計画によって郊外へと移転している。

 高校は丘陵地にあったため、通学の半分は坂道だった。橋を渡り、坂道を登りはじめるところに稲荷神社があった。記憶の彼方へと忘却していたごく小さな神社だ。それから少し行くと金木犀の匂いが風に運ばれてきた。すごく大きくなった金木犀。黒住教なる教会の敷地に植わっている。通りは樹木の枝々が覆いかぶさっていて、晴れていないと薄暗いほどだ。夏は涼しくて、冬は北風が吹きすさんだ記憶がよみがえった。犬の糞を踏んづけたのもこの辺りだった。だから、金木犀の匂いに対して、ぼくの触覚に微妙なずれがある。過去と現在とが交錯して、不快なときと爽快なときがある。

 少し進むと、左手に空き地がある。高台なのでその空き地から川の流れが見える。ぼくの家の屋上が見える。それは記憶にない光景だ。ここに何が建っていたのかを思い出そうとした。もうすぐ秋祭りがヒントだった。ここにはT町の太鼓倉があった。T町の子供の数は激減していて、あの緑の神輿はとっくに他町へ売却されていたのだった。

 坂道の中ほどの電柱に『自転車はブレーキを』と赤い文字の看板が立っていた。そう、入学して二ヶ月足らずの五月、ぼくはこの坂道で、同級生の自転車の荷台に乗っていて、その自転車のブレーキが切れて、ジェット・コースターが下降するときのように、坂道の一番下に停まっていた貨物車に激突した。膝の半月版損傷、打撲、内出血で全治三ヶ月の重傷だった。あれで成績はガタ落ちし、体育は見学ばかり、高校一年生のぼくは、見る見る間に落ちこぼれの様相を呈していた。楽しかった高校時代で、唯一、苦しかった一時期。

 いったん坂道を登り終えたところ、そこにはE子ちゃんの家があった。中学時代、一年上の先輩と恋をしてたっけ。ぼくは一度だけ遊びに行って、おかあさんにサイダーをご馳走になった。E子ちゃんはおませだった。先輩は工業高校へ進学して、ぼくと普通高校へ進学したE子ちゃんは、なんどかぼくに先輩との連絡をとってほしいと頼んだものだ。でも、ぼくはその先輩が嫌いになっていた。E子ちゃんの身体の隅々のことを聞かされてうんざりだったから。先に先輩がE子ちゃんを好きになって、先に先輩がE子ちゃんから逃げていた。E子ちゃんはよりをもどすのに躍起だった。けっして、ぼくはE子ちゃんを好きじゃなかった。ぼくには別に好きな人がいた。

 それからのE子ちゃんと先輩がどうなったかはわからない。現在わかっていることは、E子ちゃんがロンドン在住だということだけだ。今考えると、あの二人はとても好色だった。

 右へ曲がって、もうひとつの最後の短い坂道にかかるとYの家だった廃墟がある。Yはほんとうにアホだった。見てくれはハンサムっぽく、かっこよさそうで、それが返ってアザになり、女たらしの運動音痴のアホでその名を馳せていた。が、下級生には見破れなかったようで、彼の毒牙に引っかかった女子生徒がいたようだ。

 この地に住んでいながら、こんなふうに十年以上目にしない場所を歩いていると、いろいろなことを思い出す。帰りにいつも寄っていた本屋さんは今はない。あのころ10個以上食べることができると無料だった回転焼(今川焼)屋だけが、どうにかその姿をとどめていた。ぼくはいつも3個しか食べられなかった。柔道部のSは18個も食べたので、一回きりで出入り禁止となった。先代の親父さんはとても記憶力がよかった。

 今日の小さな秋は河原キキョウだった。空き地から見下ろした川の流れのそばへ下りて、そのそばの橋の下から北の橋の下まで歩いていった。夕日が水面に反射して、眩くて目をそらしたとき、つやのある紫紺の花の群れを見つけた。すがすがしい色だった。この花は、ぼくの記憶には残っていなかった。