昭和が明るかった頃
 関川夏央著、文藝春秋社刊

 書店でのこと。あるハードカバーに「石原裕次郎がいて、吉永小百合がいた。そして日活という映画会社があった。戦後の『坂の上の雲』――昭和三十年代の物語」と帯に書いてあった。

 最初のページをめくると、「序章 吉永小百合という『物語』」となっていた。書き出しはこうである。長年、不思議に思っていることがある。それは吉永小百合の出る映画は、なぜつまらないかということである。1964年以後の三船敏郎と同じく、1970年以後の吉永小百合は、出演していると聞くだけでその映画の出来をあらかじめ疑わせる存在になっている。

 吉永小百合は1959年から2000年までに109本の映画に出ている。一貫してテレビには顔を見せず、舞台は敬遠し、1974年の結婚以来、ほぼ一年に一作のペースで映画に登場しつづけている。これが「最後の映画女優」といわれるゆえんらしい。

 なのに彼女の代表作といわれると、三船敏郎のようにたやすくはあげることができない。少なくとも強力な監督と結びついた作品群を連想しない。ただ、30年前、彼女が出演した「キューポラのある街」の名があがるにとどまる。あとは、1960年代前半の日活「純愛路線」映画――そのうちの15本は石坂洋次郎の小説に基づいている――をひとつひとつの作品としてではなく、まとまりとして思い出すだけである。ここに「大女優」吉永小百合の不思議さがある。


 ここまででこの本を衝動買いしてしまった。女優として、ぼくは夏目雅子のほうがずっと好きだ。オールドファンなら原節子がいいというようなものだ。が、まあそっちはおいといて、これは吉永小百合、石原裕次郎を中心とした日活映画に基づく昭和の歴史、けっして映画の本ではなく、映画ファンのために追懐の本でもない。数々の映画俳優、監督、作家とともに歩みつづけた昭和の歴史、それが吉永小百合が出演した映画をとりかこみながら描かれている。

 ぼくがこの本を一気に読んでしまったのは、青春の思い出にある数々の映画が興味深かったためでもあるが、なんと偶然にもわが母校の校歌が目に飛びこんできたからだ。もちろんその映画は「愛と死を見つめて」、吉永小百合ふんするミコが校歌を口ずさんでいたとき、ぼくはまだ小学生だった。あの映画を見たときの記憶では、ぼくには高校の校歌なんて存在していなかった。だから、この本を読んで初めて知った。母校でのこと、母の郷里のとなりのミコの実家のことなど、「愛と死を見つめて」は実に詳しく書いてある。ぼくが二階の窓から見た日、吉永小百合がミコのうちで一泊したことも。

 大島みち子は高校二年生のとき、頬に肉腫(癌)を発病した。闘病生活をへて同志社大学へ入学した。が、再発をし、入退院をくりかえす。病院で知りあったマコと恋におちる。そして、頬へのメス、女の顔の一部を切り取るというむごい手術。『愛と死をみつめて』は闘病生活を送る女性と、その女性をこよなく愛する青年との往復書簡だ。当時出版されるやいなベストセラーとなり、純愛物語として日本中を涙させた。

 が、ミコは命尽きるのを悟ったとき、「病院の外に健康な日を三日ください」と日記に書いている。一日目は『ふるさと』へ行き、二日目は『あなたのところへ』、三日目は『ひとりぼっちで思い出と遊びます』とある。日本中を純愛ブームにひたらせた『愛と死を見つめて』の記は,東京にいる恋人のためには一日分しか時間を割かなかった。

 そこで1969年に鉄道自殺した高野悦子が登場する。彼女は中学時代から日記をつけはじめ、当時その日記には『小百合さん』と名づけていた。『愛と死をみつめて』が公開された1964年には、彼女は高校一年生だった。

 1969年6月22日、慢性の不眠症に悩んでいた高野悦子は、睡眠薬を一粒ずつ口に運びながら、彼女もまた日記に『あなたと二日の休日をすごしたい』と書いた。一日目は酒場の路地で『あなた』を待ち、したたかに飲んで眠りたい。『あなた』とは特定の誰かのことではなく、虚構の男性である。二日目は喫茶店に入り、『煙草のかぼそい、むなしい煙のゆらめきを眺めながら』音楽を聞きたい。『その夜、再びあなたと安宿におちつこう。そして、静かに狂おしく、あなたの突起物から流れ出るどろどろの粘液を、私のあらゆる部分になすりつけよう』

 高野悦子は性を求めつつ性を嫌悪していた。そして、三日目の朝、『私は、原始の森にある湖をさがしにでかけよう』と書いた。

 このくだりをしるした二日後、6月24日未明、高野悦子は鉄道自殺した。1969年元旦から6月24日までの日記は、1971年『二十歳の原点』というタイトルで刊行され、120万部以上のベストセラーになった。

 大島みち子の死からわずか6年、ともに京都で学生生活を送った。美しく賢明な女性ではあったが、病死と自殺、純潔という虚構と性への苦しみ、高度成長期における6年という年月がどれほど青春という時代を変えていたことだろう。

 上記はほとんど 関川夏央氏からの引用である。なつかしのいろいろな映画を思い出しながら、今は亡き人々の表情を浮かべながら一夜をすごしてみるのもまた一興かと。