ホタル
 風の強い夜は、ホタルは飛んでくれない。ひ弱い羽で風に抗って飛ぶことができないから。川草の中にじっと身をひそめて黙っている。ときおり草むらの間から光を放つことはあるけれど、それは灯ったり灯らなかったり。

 日曜日にはホタルを見にわざわざバスが七台も来たようだ。一般車両の駐車場スペースすらほとんどない場所へ、村の人々はとても驚いたという。そこは一応市内ではホタルの名所だが、群がるほどに生息しているわけではない。なにかの雑誌に載ったために、わざわざ遠方から見物人がやってくるようになったということだ。

 毎年ぼくは、混雑を避けてウィークデーに行くことにしている。車で30分、息子の夏の夜の楽しみの一つだ。混雑を避けているつもりでも、ホタルのピークにはそれなりにひとは集まってくる。遠方より来る老夫妻、母親をおんぶして歩く親孝行な中年の男性、腕をからませて歩くカップル、浴衣を着た子供たち、そしてぼくたちのような親子。みんなホタルが飛びかうのを楽しみに来ている。

 そのなかでカメラマン(写真愛好家)たいはとても傍若無人だ。明るいうちから繰り出して、三脚が立てられるいい場所を占領して、我が物顔で居座っている。夕闇が迫りようやくホタルがひとつ、ふたつと点灯はじめると、その近くへ「うわっ〜」と子供たちが駆け出していく。デジカメで若い男性が連れだってきた女性の写真を撮る。すると、「前を歩くな! ストロボをたくな!」と怒号がする。彼らはホタルを楽しむことより、シャッターを切ることのほうが大切なのだ。

 確かに人工の光線にはホタルは敏感に反応する。子供たちの掛け声がホタルを怖気さすのかもしれない。そのとおり、多くのホタルはシャットアウトしてある反対側の岸辺を飛んでいる。だから、カメラマンは焦っていた。イメージどおりに、思っていたままにシャッターが切れないから。で、ぼくは怒号がする只中で、ひょいとポケットに入れてきたデジカメで、息子の笑顔をそ知らぬ顔で撮ってやった。いい写真を撮りたいなら、深夜にでもやってくればいいことだ。

 少ないながら、やはりホタルの光にはえもいえぬ風情がある。昔、竹箒をもって追いかけたこと、金網の虫かごに川草をいっぱい詰めてホタルを飼ったこと、短い寿命だったけれど、束の間の夜を照らし出してくれたこと。メスの光よりもオスの光のほうがずっと明るい。なぜなんだろうといつも思った。今では、それは情熱のほとばしりじゃないかと思ってみたりする。

 おぼろ月夜、人々の顔は見えないけど、みんな束の間の季節、束の間の風情を楽しんでいる。年配のおばさんは、「こんなんじゃつまらない」といいながらもホタルが群れ行くさまを切望している。やけにカエルの鳴き声が甲高い夜だった。そう、あしたから梅雨入りだ。

 帰路、ハンドルを握り、アクセルを踏んだり緩めたり、ぼくは車内で数匹のホタルが飛びかうのを、去来する過去の出来事のように眺めていた。