クローバー
 芝草のあちこちにクローバーが繁茂している。ほかの雑草なら引き抜いてしまうのだが、クローバーの群れは嫌いじゃない。今は白い花の盛りで、芝生よりずっと色濃い緑の葉とともに、五月半ばの日暮れどきにとても清々しい。

 クローバーといえば、誰もが思うのが「幸福の四葉のクローバー」。十代のころ一度たりとも見つけることができなかった。だから、僕に相思相愛はないんだと思いこんだりしたものだった。学生時代、ようやく六甲山の高原で見つけることができたもの、それは本当に幸福のクローバーだった。

 我が家のクローバーからは幾本でも四葉を見つけることができる。こんなにたくさん四葉があると、なんだかあんまりうれしくないと、受験生のときの娘が言ったものだが、よく探していると四葉どころか、五葉、六葉までが見つかる有様だ。

 以前、よく行くゴルフ場でその多葉クローバー現象を見つけて、農薬のせいだと思ったことがある。でも、そうではなかった。これは間違いなく生態系の変化だ。四葉のクローバーが貴重品だったころ、僕らの周りに「アトピー」やら「花粉症」の子供たちなんていなかった。

 AIDSやSARSが発生し、世界中にいろいろな奇病が発症しはじめた。科学の進歩とともに地球は限りなく変化を余儀なくされている。人間の繁栄という名の下に、人間たちは不可侵な部分に立ち入っているのではないか。あるがままの地球、あるがままの宇宙、自然の摂理から見た現代の人間こそが、いわゆるエイリアンなのかもしれない。我が家のクローバーの群れが物語る僕の空想壁、ペシミストたる日暮れである。

 手に持った四葉のクローバー、5本。ちなみに、農薬は一切使っていない。