年の瀬に
 今年の早々に、高校時代の仲間たちと二十年ぶりの同窓会をやったことは、一月にこの画面上で述べたとおりだ。それから数人と旧交を取り戻すことができて(インターネットのおかげでもあるのだが)、Eメールや携帯メールで近況を伝えあうことが多くなった。時代を経てみると、また離れて暮らしていることもあって、長い年月の隔たりが妙に新鮮で、取りかわす言葉はリラックスした楽しいものになっている。

 年の瀬に、環境の変化から自分の内部に変化が起こったようである。住みなれた家が傷みきり(実際、天井裏でのイタチの運動会とひどい雨漏りにはうんざりしていた)、電化製品がまとめて壊れてしまったから、かなりの物入りだが、えいやーと思い切って全部造り替え、買い換えることにした。そして、なんとも早く、約束どおり年末に、およそ二ヶ月間で改築が終了した。また、それと時期を同じくして多くの買い物をした。新しい場所にあまりに汚れたものは不適切だからだ。さらにパソコンを最新型の液晶に変え、テレビをデジタルハイビジョンにしたりした。すると、なにか自分の周辺が、アナログの世界からデジタルの世界へとすっぽりと変わってしまったかにある。

 で、僕はひどいタイムショックに陥っているようにもある。新しいものになじめないのか、使いこなせないからなのか、旧のパソコンのほうをいじり、台所の古いテレビを見、突如として新たに契約したデジタルWOWOWを再度デコーダー方式のアナログに再契約しなおした。簡単なGコード予約ができなくて、誰かがテレビをいじると録画予約が消えたりしてイライラがつのってしまった。どうも新年を迎えるにあたってのパニック症候群である。あながち来年の支払いとJCBカードの引き落としに戦々恐々としているからだといえなくもない。とすると、僕は小心者である。が、ここではそうじゃないと断っておきたい。

 また、新しい部屋の白い壁には、従来の絵画や家族の写真に加えて、二十代前半のなつかしい写真をセレクトしては額を買いに走り、ネガが見つからないものは写真のまま加工注文をしたりした。あのころのものは、最近の自分たちよりはずっと部屋を飾る対象となりうるからだ。フォトショップでの加工、プリンター印刷では画質が不十分だ。

 あと五日で二十年ぶりの同窓会から一年になる。今年の年賀状は枚数がふえた。彼らの十数人に二十年ぶりほどに賀状をしたためたからである。今の心境は、新たな住まいという環境の変化を徐々に肌に感じはじめてきて、少々回顧的になっているのかもしれない。多分しばらくのことだと思うのだが、やはりノスタルジアを感じる年齢になってきたことだけは否めない。

 あのころの僕はジョージ・ハリスン、水着姿の妻は夏目雅子のよう、といってもみなさんはお信じにならないであろうが・・・・・。