経済考
世の中の経済というものを知っておくことは、
時代の変化の中にある経済を知っておくことは、
余裕ある日々の生活のために欠かせぬことだと、私は思う。

金というもののリスクを理解し、
金というもので身を滅ぼさないためにも、
金の世界、その仕組みや流れを理解しておかなくてはならない。

いくら教養があっても赤貧ではたまらない。
金を生かすも殺すもということは、
自分を生かすも殺すもということにつながってもいる。

私は大学で経済や経営、商学を専攻しなかった。
ただ、文学という学部に籍をおいて遊んでいただけである。
でも、あのときあのような机上の学問を専攻しないでよかったと思っている。

なぜならあの時代の楽観的経済が
高度成長期という過程に翻弄され、
ついには泡(バブル)を泡と認識できずに
再生不能なほどの破綻をきたしたからである。

私はこの十年余り、
身をもって金融の世界を目の当たりにしてきた。
不良債権はとどまるところを知らず、
年々ウィルスのように増殖し、
国民生活を圧迫し始めた。
命長らえる手法はリストラということばかりのようで
この国に永遠の生命が存在しえないかのように
先行きを暗く暗く暗示している。

思えばこの国の民主主義は
敗戦後のアメリカGHQによって作られたものである。
やたら平等、機会均等などということがもてはやされ、
個々人の自立、自主性を口先ばかりのものにしていった。
それが結果的に、国民の多くに自己責任の欠如をもたらしてしまった。
国家や銀行に代表される大企業は
重要な問題ほど先送りし、隠蔽し、
ついにはそのことが他国によって指摘されたりするありさまだ。

構造改革という言葉はもう聞き飽きた。
現状では政治家も役人も構造改革を為しえない。
平和という束の間の幻に甘えてばかりいて、
USAに骨抜きにされた勝手気ままな連中には
流れのままにまかすしかできることはないだろう。

然るに政治の世界に関わることまではできないが、
自分の周りの経済情勢や先行きを十二分に認識していなくてはと、思うのである。
むろん、経済の変化に対して、可能な限りミスを少なくし、
すべからく臨機応変に対処していくためである。

金で幸福を買うことはできないが、
金のせいで不幸になる事例は山ほどある。
世知辛い世の中だが、
精一杯の悠々自適を願うばかりである。