子規の野球殿堂入り
草茂みベースボールの道白し

正岡子規が昨日、新世紀特別表彰により、野球殿堂入りをした。

俳人、歌人で有名な子規は、
アメリカから伝わって間もなかったベースボールに熱中。
明治十七年(1884年)に入学した東京大学予備門時代にそれを知り、
左腕の投手、捕手としてならした。
幼名の昇をもじって、『野球』(の・ぼーる)のペンネームを使ったことから
野球の名付け親と呼ばれたことがあるらしい。

実際は『野球』と名付けたのは、
子規の後輩、中馬庚で1970年に野球殿堂入りを果たしている。
ただ子規も野球ルールの紹介記事を書き、
「打者」「走者」「飛球」などの訳語を編み出し、
草創期の野球普及に大いに貢献した。

上記は日本経済新聞のスポーツ欄のコラムからではあるが、
私は松山の子規記念館に三度ほど足を運んでいて、
そのことを知っていた。

彼の没後、今年でちょうど百年になる。
正岡子規の名前がスポーツ欄に掲載されることは、
彼の健康だった頃に思いを馳せると、
何かしら子規と共に喜びを分かちあいたい気持ちになってくる。
プロ野球は面白くなくなってきたようだが、
まだまだ草野球の面白さは捨てたもんじゃない。
「フィールド・オブ・ドリームス」は野球の夢と楽しさを語ってくれる。

今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな