明暗
 十数年ぶりに、漱石全集の未読の分から「明暗」を取り出してきて読んでいる。海辺のカフカ君が読んでいた作家の一人が夏目漱石であったことと、買い溜めして積んでいた本がなくなったからでもある。

 およそ三分の一を読んだところ。明治の文豪だから、心してかからねば途中で頓挫するのではないかと思っていたのだが、意外と読みやすい。文字が大きく、現在仮名遣いのハードカバーであるからかもしれないし、また穿った見方をされれば僕が歳を食ったということにもなる。

 「明暗」は漱石最後の小説であり、未完である。新聞「朝日」に連載中、腹部内大出血をおこし永眠した。大正5年12月22日の昼近く、漱石は机の上にうつぶせになって苦悶していた。その机の上には189と番号を打った白紙の原稿用紙が広げられていたという。「明暗」は1から188項までの未完の長編小説である。

 僕は、90年ほど隔たりがある「海辺のカフカ」と比較しながら読んでいるような気がする。漱石がセックスとかラヴ、ウインドーショッピング、デパートメントストアなどという言葉を使うのは愉快だし、そこへ1円50銭だとか6円70銭、自動電話、カレーライスがからくていやだなどがでてくるから、なかなか肩がこらないで読めている。男女の心の機微の描写はさすがだと思わせるが、やはり時代がかっていることは否めない。が、そう感じさせるだけで、永遠の真実のほうはきちっと掴んでいるようだ。今これを誰かがわざと明治(漱石)風に書けたなら、とてつもない名役者であることにちがいない。

 さてこれから、僕は評論のほうは苦手なので、90年前の作品をゆっくりとふとんの中で楽しむことにしよう。久しぶりにのんびりできる今宵である。