終戦記念日
多くの戦争犯罪の歴史の中で
欧州のナチスドイツ、
アジアの大日本帝国は忘れられることがない。

孤島の国日本は原爆を二回も投下され、
膨大な無辜の民が一瞬にして死んでいった。

列強の植民地支配に始まった数々の犯罪は忘れさられ、
アメリカのベトナム侵略ですら過去の出来事のようだ。

日本は大戦の最後の敗戦国だ。
焼け落ちた国の復興をアメリカの手に委ねなくてはならなかった。
自国民の手ですべてを解決することができなかった。

あれから56年、日本人の心は自他ともに誇れるものを見出せないままでいる。
それが教育の場でいつまでも続いている。

あの時代の軍国主義は日本国民にさえ想像を絶する苦しみを与えていた。
多くの無意味な絶望的な死が壮絶にくり返された。
原爆が投下されなかったなら、さらに多くの死を彼らは強要していたのだろうか?
原爆投下はあまりに不条理で、限りなく悲劇だ。
七名のA級戦犯、彼らは太平洋の彼方へと破棄されるべきだった。


  日本経済新聞「春秋」の欄より

 戦争のさなかに出陣した学徒兵や特攻の若者たちは建礼門院右京太夫という中世の閨秀歌人の作品を胸に戦地に散ったという。源平の戦いで壇ノ浦に命を絶った貴公子、平資盛との恋を、この女性は平家滅亡後の晩年まで美しく追想して作品にしている。

 「契りとかやはのがれがたくて 思ひのほかに物思はしきことそいて」 歴史のはざまのせつない恋を自分の運命に託し、旅立っていった世代を今の若者はどう受け止めるだろう。いつもケータイで結ばれ、コンビニにものがあふれる平和で豊かな社会であればこそ、かつて若者が引き受けた無慈悲な離別の物語をかみしめたいと思う。

 その世代に残された女性たちも青春を無残にも引き裂かれた。恋人は戦地に赴き、着飾る服もなく、空腹を抱えて敗戦を迎えた女性たちの痛みを想像する。
 「わたしが一番きれいだったとき/ まわりの人達が沢山死んだ/ 工場で/ 海で/ 名もない島で/ わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった」 (茨城のり子詩集『見えない配達人』)

 さまざまな世代に生きる「八月十五日」が新たな世紀に引き継がれる。その日とともにかつての青春の記憶も風化してゆくが、戦争の影とも無縁な若い世代から生まれる恋歌はのびのびとさわやかだ。 
 「あ、彼はよい父親になるならむ 自転車をひき遠ざかるとき」 さきに現代歌人協会賞を受けた大学院生の歌人、永田紅さんの作品である。