フィールド・オブ・ドリームス
僕がこの映画を見たのはおよそ十数年前。
ニューヨークの帰りのノース・ウェスト機内で、
疲れ果てていて、眠りたいだけの状態のなか、
突如この映画は僕をとりこにしていた。

映画を見ながら、僕は夢遊病者のようにグラウンドをさまよっていた。
今に思えば、疲れと睡眠不足が理由だったのと思うのだが、
僕は裸足でトウモロコシ畑の中を歩いていて、
見る見る間に球場の歓声の只中にまきこまれていた。
僕の目から涙がこぼれ落ちていた。
隣にすわっている監督のような顔をしたおじさんの目からもこぼれ落ちていた。

シューレス・ジョー、彼のことを知ったのは帰国してからのことだった。
映画はそのときまだ日本では封切られておらず、
誰に尋ねてもこの映画のことを知らなかった。
ようやく半年後、日本で公開されて
僕は現実に存在したシューレス・ジョーのことを知った。

今再び、シューレス・ジョーのことが全米で話題にあがっている。
新人選手の最多安打記録の保持者だからだ。
その記録をメジャーリーグに回顧させたのは、
ジョーの記録にあと二安打と迫ったイチローである。
おそらくイチローはジョーの記録をぬりかえるだろう。
メジャーリーグにおいて素晴らしいニューヒーローの登場だ。

 しかし、僕は日本を去る前のイチローの傲慢さを忘れない。グリーンスタジアム神戸でのヒーローインタビューのとき、イチローはこう言った。

 「最後まで応援してくださったファンのみなさんにひとことお願いします」 とそれまでのイチローのふざけた返答にうんざりしていたアナウンサー。

 「今日は大相撲の千秋楽です。みなさん早く帰りましょう」 と。笑顔も見せず、帽子もとらずに・・・・・。

 イチローがフィールド・オブ・ドリームスたれる人物となれるかどうかは、いつか歴史が決めてくれる。彼のこれからに期待したい。


 <以下夕刊フジの貼り付け>

【シアトル(米ワシントン州)27日】今季231安打を放っているマリナーズのイチロー外野手(27)は、1911年にジョー・ジャクソン(インディアンス)がつくったメジャーの新人シーズン最多安打記録「233安打」まで、あと2本。この日は試合がなく、早ければ、28日のアスレチックス戦で新記録を達成する。イチローの活躍によって、にわかにメジャーファンの記憶に蘇った数々の伝説を持つ男、ジャクソン。その実像とは−。

 ジョー・ジャクソンは、イチローと同じ右投げ左打ちの外野手。メジャー在籍13年間の通算打率が.356に達する好打者だ。ベーブ・ルースが、このジャクソンにあこがれ、打撃フォームをまねたといわれている。

 「シューレス・ジョー」(はだしのジョー)の異名で、いまだに親しまれている。その由来は、サウスカロライナ州の貧しい家に生まれ、地元チームでプレーしていた時代にさかのぼる。

 新しいスパイクで靴擦れを起こしたジャクソンは、途中からストッキングのままでプレーを続けた。周囲はだれも気がついていなかったが、ジャクソンが三塁打を放ちベースに滑り込んだ際、観客の1人が「おまえ、はだしじゃねえか!」と叫んだ、というのだ。

 ジャクソンがインディアンス時代の1911年に放った233安打が、メジャー新人記録だ。

 実は、ジャクソンはこの年、正確にはメジャー4年目だった。しかし、それまでの3年間の合計打数が115にすぎず、現在の新人王資格(前年まで130打数未満)を満たすことから、メジャーリーグが新人記録として認めている。

 栄光に満ちたジャクソンの野球人生は、ホワイトソックスに在籍していた19年、ワールド・シリーズで八百長があったといわれる「ブラックソックス事件」に連座し、暗転。

 このシリーズで.375の高打率を残したジャクソンだが「守備では全力で打球を追わず、全力で返球せず、チャンスでわざと三振した」と“事実”をシカゴ大陪審で認めた。

 裁判所を去る際、1人の少年が現れてジャクソンの腕をつかみ、「Say it ain’t so,Joe」(うそだと言ってよ、ジョー!)と叫んだと報じられたことも、有名な伝説だ。

 21年、ジャクソンを含むホワイトソックスの8選手は、メジャーリーグから永久追放処分となった。

 これまでに米国では幾度となく小説、映画の題材となってきたジャクソン。イチローのおかげで改めてファンに認知され、「シューレス・ジョーブーム」が起こるかも。