父親参観日
仕事場にいて孫の登校時刻門へ出るのが遅れた。二分だが、彼女が珍しく早かった。私がいないから、出かけようとしない。母親は玄関の戸の隙間から顔を出して指で早く行けとの仕草。間に合って一緒に途中まで歩く。何時もの友人がこれも早くこちらへ戻って迎えに来た。昨日発熱で休んだ一人に「良かったね。もう大丈夫」と声を掛ける。もう一人が昨日の行動を話してくれる。「昨日いぼ取りに病院へ行ったの」
「魚の目でしょう。削ったの?手術なの?」「来週麻酔なの」「うん。痛くないから良いかな」50m歩く間にこれ程の会話をしてくれる。孫娘が割って入って「私は10回以上じいじに連れて行ってもらって削ったの」日常の会話だが、これができない子供が登校拒否寸前である。
独占欲が強くわが孫娘とだけ話したい。
知ってはいたが、いつの間にか婿も娘もいないらしい。下の子がこちらの母屋へ。「朝ごはんは?」「食べていない」早速家内が温かいご飯をつけてきた。
何で食べると聞いて、到来もののひじきを並べた。白いご飯に最近塩を振りかけて食べるという。山下清のテレビの影響。戦後の食料不足時代の白米崇拝時代である。
私も炊き立ての白いご飯がご馳走だある。それに塩味のおかずと味噌汁。一汁一菜そのものである。孫はどうもそのタイプである。「そんなものいらない」とすねて帰ってしまった。行ってみるとテーブルに甘食とか言う食パン半切れサイズにバターを塗って焼いてあるのが皿に一枚。コップになにやらジュースである。
留守番させて二人は出かけてしまった。淋しいのを口に出さないですねている。頭をなでてやると抱きついてきた。
そこへ家内がご飯を運んできた。もりもり食べだしたのは空腹だからだ。
日曜日だけしか休めない婿だが、参観日、発表会と運動会は必ず出ているのは感心しているが、会社が理解してくれるのか、営業中に抜けているのか。
迎えに越してきた同級生には父親の影がない。「遠くにいるの」といっているがいろいろに解釈できるが、それ以上追求せず「そうか。単身赴任か。淋しいけど頑張れ」と励ますしかないのである。
今朝はどんな気持ちで出かけたのだろうか。一足遅れて出てきたから、「皆、直そこだよ。早く追いつきなさい」と声を掛けた。「はい、行ってきます」と元気に返答してくれる。
毎朝こんな調子の登校風景だが、娘はこれが面白くない。