2002年06月の記事


6月29日(土) くもり時々雨
楽しみに待っていた「スターウオーズ・エピソード�U」を観にいって来ました。
20時30開場でしたが、駐車に手間取ってしまい、到着した時には既に開場になっていました。
運良く並ばなくてもすんなりと入れたのは非常にラッキーなことでした。
さすがに満席で、もう予告が始まっていました。
トキメク心を抑えながらスクリーンを凝視する。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

期待が大きすぎた為でしょう。
簡単に感想を述べるとクライマックスシーンがないまま、特別新しい謎解きもなく、なんとなく次回作品にストーリーを繋ぐ形でThe endになりました。
確かにセットも衣装も音楽も一流です。素晴らしいです。キャストも申し分ありません。
しかし、残念ながら・・・・・・・・です。
不完全燃焼・・・・・・・・”これで終わっちゃうの”が感想です。
「エピソード1」を見終わった時の感動とはずいぶん違うので戸惑ってしまいました。
予定ではそのまま帰宅するつもりでしたが、どうも納得できないで悶々とした思い。
友人とお茶しながら語りましょうということになり、そのままホテルのラウンジへ・・・・。
檸檬スカッシュ一杯で2時間近くも語ってしまいました。
あまり期待せずに観た方が良かったのでしょうね。
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6月30日(日) 雨
6月最後の聖日、感謝と喜びを持って礼拝へ出席しました。
今日はギデオン協会(聖書の無料配布をする団体)のラレーがあり、
席上献金がありますという事前連絡が入っていたのですがうまく連絡が取れなかった様子で、
次週に持ち越しになりました。
バイブルクラスは先週に引き続きガラテヤ書からの学びでした。
今日の学びは何時にも増して牧師先生が熱く語っておられました。
お分かちするにはあまりに長いのでその中で特に心に残ったお話を。
ある宣教師のお話を引用されて、献身者が気をつけなければいけない3Gについての学び。

1.GOLD  (お金)
2.Girl  (女性)
3.Glory (栄光/名誉)

これは献身者のみでなく一般信徒も充分に気をつけなければならない。
私たちは徹底的に罪の多い人間であることを分かる必要がある。
私たちは本当にかってで、浅ましく、傲慢で、我侭で、自己中心なほころびの多いものである。
そのような自分を嫌というほど分かったその上で、(罪を認識するだけではだめ)
クリスチャンは悪のこの世にあってイエスキリストを証(あかし)するものである。
すでにこの世のものではなく、代価(イエスキリストの尊い十字架の死による)を払って買い取られ、
すでに神様のものであるということを意識していなければならない。
十字架をいつも仰ぎ見るのです。
なんと私たちは自分に栄光を帰するものでしょうか、高い評価を受けると傲慢になるし、
誇らしげになる、これは過ちです。本当の信仰から離れていくのです。
主に栄光を帰することにのみ心を留めることです。

「今私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや、神にでしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。」

ガラテヤ人への手紙1章10節
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6月28日(金) 雨
ようやく煩雑な月末業務から開放されました。
とはいえ、明日も出勤なのですが。
今夜はしばらく振りにあちこち書き込みして廻りました。明日はしっかりスケジュールが詰まってます。
仕事を早めに切り上げ友人のお店(レストラン)のオープン祝いへ出掛ける予定です。
その後移動してナイトロードショーに行きます。
待ちに待った「スターウォーズ・エピソード2」先・先行ナイトです。楽しみ〜。
今月4本目の劇場映画になります。毎週週末は出かけていた計算になりますね。
驚き。。。。先週だけは行かなかったかな?
上映時刻は20:30から23:00迄 帰宅は23:30ぐらいになる予定です。
さすがに礼拝を翌日に控えておりますからね、早目の就寝になるでしょう。
今夜も時計の針がいつのまにか廻ってしまいました。さすがにもう休まなければ。

大好きな聖句
「私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。
主がささえてくださるから」

詩篇4編5節のみことばです。
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6月27日(木) くもり
今夜は日記はお休みのつもりでしたが、デボーションをしている時に示されたことがありましたので
簡単に異端の教えについて私の持っている知識でアップさせていただきます。

異端の宗教について

まず正統的キリスト教というのは(日本において)カトリックとプロテスタント指します。
では異端の宗教(カルト)とはどのようなものかと言いますと・・・・・・・。
簡単にいうとその教えが聖書とズレているということです。
「人が罪人」なのはキリスト教では当たり前ですが「罪ある人間」「イエス・キリスト」につての理解がそれぞれ違います。

・モルモン教

人間も神になります。アブラハム・イサク・ヤコブも神です。
あなたもどうしたら神になれるか学ばなければなりません。

・エホバ証人(ものみの塔)

イエスキリストはもちろん神ではありません神様に最初に造られたのです。
赦されただけでは足りない【罪を犯さない人間】になるのが【完全な救い】だといいます。

・統一協会

人は価値において、神と同じ性質を持ち、イエスのようになれるのです。
この人たちにとってイエスは人間にすぎない。

また、異端の古い出版物と現在のを比べると教理の教典は時代に合わなくなると内容が変わってしまうという矛盾に気づかされます。

ものみの塔は
「世界の終わりは 1916年がハルマゲドンだ。」(1879-1916年の教え)
いや
「1975年がハルマデドンだ。天地創造から6000年だ。」1960年代

モルモン教は
「カナンの子孫が黒くなり黒人はのろわれていてモルモンの聖職者にはなれない」(1830ー1978年)
神の啓示「黒人も聖職になれる」1978年

しかし、聖書は何千年も前から一点一画欠けることのないようにと注意を払って伝えられてきました。石・皮・パピルス等に記され、色々な時代に書き伝えられてきました。
有名な死海の脇クムランの洞窟でみつかったつぼの中にあった写本は最古の写本[千年も間があいてもきちんと写されている]という聖書のことばの証拠です。
聖書は、何百年、何千年前の写本と比べても意味や教理の違いがなく、正確に書き写されてきたのですから。

モルモン教もエホバの証人も19世紀、リバイバル集会が盛んだったアメリカ東部でキリスト教に接したことのある人々によって設立され、広がりました。
(韓国生まれの統一協会も今は本部がニューヨーク)その他の異端(クリスチャンサイエンス・ユニテリアン・ユニバーサリズムなどもアメリカ産異端です。

あまり、この件に関して判断能力がないなら家に「ものみの塔」の人が訪問に来ても
話を聞かず完全に避けたほうが賢明です。

キリスト教の教会は十字架を大きく掲げてあります。イエス・キリストを救い主と告白します。
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6月25日(火) 雨 
ようやく梅雨らしい雨の一日になりました。
空梅雨の心配もなさそうですね。
梅雨明けは早くなりそうな気がします。今年はどうしても海水浴へ行きたいなぁ。
毎日海の壁紙を見つめていると本物の海を見に行きたいという衝動に駆られるのです。
何処の海へ行こうかな、毎年そう思うのだけれど行きそびれて夏が終わる。この繰り返しです。
宮崎は海水浴場はたくさんあります。でも有名な場所は観光客が多すぎてうんざりしてしまうのです。
青島は駐車場から海までが遠くて大変ということもあります。
砂浜沿いにホテルが並んで建っていて、そこに宿泊している方々にとって海へ行くことは容易なことです。
しかし、一般の方が海の近くに駐車するというのはかなり大変なこと。よほど早朝から出かけないと無理なのです。
道路も渋滞で並ばなければならないし、海は綺麗なのですが人の多さには嫌気がさしてしまいます。
青島から、南下し日南海岸沿いに車を走らせること10分、そこには青島とは全く違う表情の海が迫ってきます。
富土(ふと)海水浴場というのですが、地元の方達がのんびりと海水浴を楽しんでいる。
そんな感じのところです。なかなかお薦めの場所です。
海の家も小さいのが数軒建っていて、車を止め階段を降りたらすぐに砂浜。
ここも、最後に行ったのは何時だったでしょうか。。。。ずいぶん変わってるかもしれないなぁ。
記憶にないぐらい前の話ですものね。
今年はしっかりと計画を立ててお休み取らないとまた行きそびれてしまいそうです。

『神は 「天の下の水は一所に集まれ。乾いたところが現われよ」と仰せられた。
するとそのようになった。
神は乾いたところを地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。
神は見て、それをよしとされた。』

創世記1章9・10節
日南海岸
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6月23日(日) 晴れ
素晴らしい主の日 聖日礼拝へ。
先週は色々と心の平安の揺らぐ一週間でした。
しかしそのような中にあっても、
主の御導きとみことばの励ましにより礼拝を守れるこの恵みに感謝です。
今日はHPにはバイブルクラスの学びの御分かちをさせて頂きます。
礼拝説教より少し専門的で解り難い点もあると思いますが、
私はこの”迫害”の出来事を通して非常に示されることがありましたので。

今日からガラテヤ人への手紙の学びが始まりました。
(ガラテヤ地方は現在のトルコを指します。)
イエス様が十字架に架かられてから大体10年ぐらいたった頃(A.D.48〜56頃)のガラテヤの教会には
間違った、律法的・異端的考え方があって、教会が混乱していました。
もう一つの別の福音が存在するのではなく、キリストの福音を変えてしまうということです。
どのような考え方かというと、パウロは使徒ではなく、使徒とは(ヨハネ.ペテロ.ヤコブ.アンデレ.ピリポ.トマス.バルトロマイ.マタイ.アルパヨの子ヤコブ.シモン.ヤコブの子ユダ)だけであるという考えかたです。
そのことを聞いてパウロはガラテヤの教会へ書簡を書きます。
パウロが使徒になったのは人間的なものではない、そこにはダマスコにおいて復活のイエスキリストの出会いがありました。
「私が使徒となったのは人間から出たことではなくまた、人間の手を通したことでもなく、イエス.キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。」ガラテヤ人への手紙1章1節

パウロは名前をサウロといいました。後になってパウロという名前になったのですが、サウロはクリスチャンを迫害するものでした。
しかし、ダマスコの近くまで来た時突然天から光が彼を巡り照らしました。
「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
彼が「主よ。あなたはどなたですか。」
というと、お答えがあった。
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
こうしてパウロは復活の主に出会い 召しを受けて、
異邦人宣教をする大使徒として立てられてゆきます。
今日の学びの主題は別のところ
「リベラルな考え方、イエス.キリストの復活が思想であるといった曖昧な考えかたではなく、
復活の事実がなければ私たちの信仰もむなしいものになる。復活は事実であり、イエスキリストは今も生きておられる。」
ここにあったわけなのですが、
私はパウロのクリスチャン迫害のほうに示されることがありました。
パウロのようにことごとくクリスチャンを迫害するものでさえ、
愛なるイエス・キリストに出会うことによって、全く180度変えられ、
イエス・キリストの福音を伝える者とされるのだと、
クリスチャンを迫害とまでは言わないまでも
否定して全く受け入れない方でも、イエス様に出会うことによって、
信じるものに変えられるのだということを改めて学び、
大きな恵みを頂いた日でした。感謝いたします。

† Saul、Saul、why are you persecuting Me ?
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6月22日(土) 晴れ
梅雨の晴れ間というのでしょうか、それにしてもここのところ、
晴れ間が多く雨量が少ないですね。
時折ぱらりと来るだけです。水不足にならなければいいのですが。やはり、心配してしまいます。

さて、今日は久しぶりにHPに NEW PAGEを加えましたので、ご報告です。
FRIENDSを使ってHere I am.をUP致しました。少しずつ、加えていこうと思っています。
Short storyながら聖書のエッセンスがたっぷり詰まっています。
悲しいお話ですけれど希望がありますね。是非お立ち寄り下さいますように。
きょうのDiaryは、日記というより紹介文のようになってしまいました。
蔵さんより紫陽花のPHOTOを提供して戴きました。鮮やかな紫陽花が素敵ですね。
画像の下方にURLがありますので、クリックすると蔵さんのHPにジャンプ出来ます。
どうぞ、ご訪問くださいますように。

Here I am に関する聖書の箇所

「しかし、すべての汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都にはいれない。
子羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。」
ヨハネの黙示録21章27節
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6月20日(木)雨夕方から晴れ
この話題は避けるべきかとも思いましたが、
やっぱり、書いている自分がありました。
実は、昨日あたりからどうも調子が悪かったのです。疲れでしょう と流し、就寝・・・・・・。
朝になって、起きようとしたら右肩が重い。
あわてて、目を覚まして右手を上げようとしてもこれが駄目なのです。あがらない。
色々想いを巡らしていたら 原因が解りました。
遡ること月曜日の日記参照です。娘に宅急便を送った時のことです。
食料品を詰め込んだ(10k以上あったかもしれない)ダンボールを抱えてカウンターまで持っていったのでした。
あーっ、何ということをしてしまったのでしょうか。
自分で運転も覚束ないので主人に送られて整形外科へ・・・・・・・・。
レントゲンを撮って待つことしばし、診断が下りました。
なんと、○○肩でした。
痛み止めの注射一本を打ちました。その後リハビリ室で温シップ15分、電気治療とやらを10分。
お薬は 鎮痛剤と湿布薬を処方され、帰宅と相成ったのでした。
なんだか つくづく無理の利かない年齢になったものだと思いしらされました。
仕事もTEL当番がやっとできる程度でした。
今夜のDiaryはなんと左打ちです。
明日左肩にもきたら大変ですから今夜は早く休もうと思います。
その様な訳で(言い訳かな?)
本日はBBSのRESは皆さんにお返しできないかもしれません。ゴメンナサイ。

「あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、
主があなたを訓練されることを、知らなければならない。 」

申命記8章5節
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6月19日(水) くもり、夕方から雨
最近、なぜか日記がお休みがちです。
一行でも書けばそれはそれで価値のあることなのですが、それが私には出来ないのです。
面白、可笑しく、フィクションなども交えながら脚色したDiaryが書けたらどんなにか楽しいだろうにと思います。
が 書き出すと これが です・ます・調の想いとは裏腹に(大層な内容でもないのに)硬い語り口のDiaryに仕上がっていたりする訳です。
その結果 削除という悲しい結末を迎えるのですが、二日に一度はこれをやっています。(笑)
それで、LOGを尋ねて廻ります。
時々 これが嬉しいことにHITするのです。
素晴らしい文章力にうっとりするわけです。
その人の感性に触れて思わず 駄文のカキコなどをさせて戴いて、
お気に入りにしっかりと入れさせていただくのです。
それから、日参させて頂きます。しつこいほどに・・・・・・・。
そして、また素晴らしい文章を噛みしめるのです。
そのうちに自分の拙い文章力をいやというほど思い知らされて、
自信を失うという悲しい結末のお話でした。
私は現在その状態にあります。。。。。。。

「しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。」
エペソ人への手紙4章7節のみことばです。

主よ、恵みを感謝します。
分をわきまえつぶやかずに、
賜物を感謝して受け取るものとさせてください。
主の御名によって祈ります。 AMEN
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6月17日 (月) 雨
ようやく梅雨らしく雨になりました。
眠くて、眠くて、少々頭が空回りしている中で書いています。
今日は娘の19歳の誕生日でした。
MAILを送ったけれど、全く連絡がないのでのんきな母でも やっぱり心配。。。。。
娘の好物 
ぱんちゃん、ヨーグルッペ、カレーうどん、ラーメン(とんこつ)
白だし醤油、ワカメスープ、インスタント味噌汁、
シーチキン缶、スナック菓子、ペコちゃんの棒付飴、マヨネーズ、etc.

生協で思いついたものを選んで、ダンボールに詰めて送りました。
喜んでくれるかな・・・・・・・・・・.
明日、もう一度TELいれてみよう。

「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」

箴言22章6節
at 2002 06/18 01:00
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6月16日(日) 晴れ
入梅したというのにこのところ雨が降りません。
空梅雨でしょうか.
降ると憂鬱ですけれど降らないとこれも水不足の心配をしなければいけないし。
梅雨の晴れ間に感謝をもって聖日礼拝へ
今朝は礼拝受付のご奉仕があるので(9:15に)いつもより一時間早く教会へ行き、
CS教師と共に学び(バイブルクラス)をしました。
礼拝説教はヨハネの福音書3章1〜7節
「新しく生まれ変わる」
と題してみことばを牧師先生に取り次いでいただきました。

『イエスは答えて言われた
「まことに、まことにあなたに告げます。
人は新しく生まれなければ、神の国を見ることは出来ません」
ニコデモは言った
「人は老年になっていてどのようにして生まれることができるのですか。
もう一度母の胎にはいってうまれることができましょうか。」

イエスは答えられた。
「まことに、まことに、あなたに告げます。
人は水と御霊によって生まれなければ神の国にはいることはできません」』

ヨハネの福音書3章3〜5節

ニコデモさんはパリサイ派で最高議会(サンヘドリン)の社会的地位の高い老人でした。
イエス様の奇跡をみて人目につかない夜尋ねてきたのです。

私たちが教会を訪ねるとき”神様が私の悩みを聞いてくれるかも知れない”
”家庭の問題を解決してくれるかもしれない”という想いで行くかもしれません。
人は新しくなりたい、やり直したいと願い、
何かをすることによって生まれ変わろうとします。
しかし、イエス様は神様によって生まれ変わらせるようにと語っておられるのです。
自分で生まれ変わることは人には出来ないことです。
受け身の考え方です。私たちはいのち(生)を受けたものです。
私たちが自分のものとして現在所有しているもののすべてが
一時的に預かって使用を任されているものに過ぎません。
私たちは裸で母の胎からでたものです。
自分の生き方を見つめ、足りなさを認め、自分の罪を悔い改めをし、
それでも愛していて下さっているイエス様の赦しの恵みを受け取ることです。
その時人は新しく作られたものとなるのです。
洗礼を受ける日これが二度目の誕生日となります。
新しい人生はいつからでも始められるのです。
老人ニコデモさんも神の恵みの中にいれられたのですから。
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6月14日(金) くもり
今日は、対チュニジア戦 朝からワールドカップのこと頭がいっぱいでした。
どうも落ち着かない。私もフーリガン的要素が潜んでいるのかな〜?
なにを隠そう、昨年ネットにアクセスしてチケットをGETしようとTRYしたのも事実なのです。
午後から早退しようかなとも思いましたが、それは大人げないので却下しました。
それにしても、ワールドカップの影響なのでしょうか。
午後から全くお客様は来ないし、TELもあまり掛かって来ない。暇〜でした。

結局 5時前だったと思いますが事務所のTVで観戦することに。。。。。。。
本来はお客様用で、車両の説明の際に流すデモビデオのTVなのですが
ちゃっかりと観てしまったのです。
中田のゴールが観れて興奮、また熱くJAPANの血が騒いでしまいました。

でも、ちょっと待って!!
勝利は嬉しいのだけれど、自分の中で納得いかない部分もあります。
日本チームは決勝トーナメンとに残る程強いチームだったのかなということ。
新聞で改めて他のグループの対戦相手国に目をやれば、どうも胡散臭い香りが漂う、このように考えるのは私だけでしょうか?
開催国の特権なのか、日本と韓国だけが随分組み合わせチームに恵まれていませんか。
組み合わせ抽選になぜか金権の影が見え隠れする。
敗退していった、フランスやアルゼンチン・ポルトガルと
日本が対戦していたら本当に残れたのでしょうか?
嬉しさが半減した夜でした。

「悪を行う者に対して腹を立てるな。
悪者に対してねたみを起こすな。
悪い者には良い終わりがなく、悪者のともしびは消えるから。」

箴言24章19・20節
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6月13日(木) くもり
今日の日記はBBSの書き込み 「信仰を持つきっかけ」
の問いに対するお返事をDiaryにアップさせて戴きました。
私は自分の属する教会でも一度もこの問いに対するお証はしたことがありませんでした。
いつもお断りしていたのです。しかし、示される事がありましたので書かせて戴きました。
少し要領を得ない内容のところがあるかと思いますが、お許しください。



信仰を持つきっかけですね。。。。。。。。

私は大きな試練(病気とか・身近な人の死・家族の問題等々)
に直面して神様を求めたというのではないので、物足りないお証になってしまうかもしれません。
私の実家の宗教は真言宗でしたが小学生の頃に近くの教会学校に毎週日曜日に行っていました。
小学6年生ぐらいまでは行っていた記憶があります。
ですから、キリスト教はごく身近なものとして受け止めていましたし
なんの抵抗もなく讃美歌も口ずさんだりしていました。
それから、ずいぶんと時は流れて神様のことは忘れていました。

私には現在24・23・22才の3人息子と18才の娘の4人の子供がおります。
あれは、今から14年前の1988年のクリスマスだったと思います、
小学校の校門で教会の方が配っていた子供クリスマス会案内を
次男が持ち帰ってきたのです。
そして、「おかあさん、行ってもいい?」と何度も言うので行くことになりました。
もちろん4人一緒にです。
とても楽しかったのと、教会学校の先生方がおやさしかったので
腕白坊主達はその後も日曜日は4人揃って教会学校と礼拝に出席するようになったのです。
私は当時日曜日も出勤でしたので(嫁ぎ先が外車の販売をしています。)
朝から、午後まで預かって下さる学童保育のような感覚で、教会はありがたい存在でした。
その年の夏休み教会キャンプがあり、見送りに行きました。
それが、現在所属している教会へ初めて足を運んだ時だったと思います。
それから、何度か教会で行われる伝道集会・映画鑑賞会に出かけていきました。
でも、求めて行ったというのでは、ありません。
子供たちがいつもお世話になっているので、お礼の意味で出席するという感じでした。



私はその年(1989年)の秋頃には、毎週子供たちと礼拝に出席するようになりました。
といっても、日曜日の学校の行事の方を優先していたりという礼拝出席のしかたでした。
その当時は真剣に求めていたという姿勢ではなかったのでしょう。
現在愛用の聖書に1989年10月購入と記してありますから その頃から聖書も読むようになったのだと思います。
そのようにして、聖書を読み、日曜日にはバイブルクラスに出席
その後11:00から礼拝出席をする中で、
少しづつ少しづつ、聖書の中で語られる人間の罪ということが分かるようになってきました。

罪というとなんだか警察に捕まるような悪い事、刑事罰を伴うようなことを想像しますが、 
聖書の罪というのは、人間が生まれながらに持っている自分が一番と思う心(自己中心の罪)
神様を無視して生きること・神様の前に立てないような自分の過去や現在の人に言えない恥ずかしい部分。
また自分だけが知っている足りない所、欠点 これらを認めないで生きることをいいます。
そしてこれは自分がいくら努力しても、頑張っても、罪は清算されないこと
私の罪を赦す為には イエス・キリストの十字架の死が必要であったことがぼんやりと分かってきました。
しかし まだ、確信はなかったというのが正直なところです。
私はとても疑い深い性質で
「じゃ、神様がいるのにどうしてこんなことが起きるの」
「毎日 お祈りをしているけど、本当に聞いてくださるのかしら?」
と神様に向かってつぶやいていました。疑っていたのです。
求道を4年間致しました。
そんな私がはっきりと神様の存在を認めたのは、
1992年の伝道集会で沖縄の国吉守牧師が語られたメッセージによってでした。
前後のお話はすっかり忘れてしまっているのですが、メッセージのある箇所だけ今でも鮮明に記憶しています。

「あなた方はよく子供をつくるといいますね。
今度は女の子だ、いや男の子が欲しいといったりします。
男の子と女の子ひとりづつでお上手につくられましたね、などと言いますよね。
しかし、本当にお父さんとお母さんお二人でつくられたのですか?」

私はこのメッセージはとても心に響いたのです。
私は4人の子供がいるけれども、ロボットを組み立てるように作ってはいない。
お腹の中に10ヶ月いたことも、わたしが生んだことも事実ではあるけれど
造ってはいない・・・・・・・・。
人間を造られるのは神様なんだ。
神様は今も生きておられるんだ。ということがわかったんです。

それからは、聖書のみことばが、スポンジが水を吸収するように すーっと自然に入ってくるようになりました。
その年(1992年)のクリスマス礼拝時牧師先生に信仰の決心を告白したのです。

私は洗礼を授かるまでは、特に大きな試練はありませんでした。
むしろ救いを受けてからの方が、色々と神様の試みに会いました。
しかし、これは神様がその試みに耐えられるように、前もって私を救いに入れてくださったんだなと思わされています。
イエス様を知らなかったら、あの時の苦しみには耐えられなかっただろうと・・・・・・・。

キリスト教は、世のいうご利益信仰ではないので、
クリスチャンになると苦しみや悲しみがなくなるわけではありません。
しかし、神様を知っている人と知らずに歩んでいる人とでは
その苦しみ悲しみが全く別の意味を持つのではないかと思います。

キリスト教はおしえではなくて、わたくしたちの中に
神様の愛がはっきりとわかってくる、神様と深く交わることが許される
人生の中の生活の体験なのです。
イエス様が私と共にいてくださる。
全て私のことをご存知で祈りをいつも聞いて下さっている。
そしてそのままの私を受け入れ愛していてくださっている
というのは体験しないと分からない恵みです。
心の奥のほうにいつも暖かい火が灯っているようなそんな感じでしょうか。

私が受洗したときに頂いたみことば ヘブル書13章5節
「私は決してあなたを離れず また あなたを捨てない」
このみことばにはいつも励まされ続けています。
教会に導かれてから早14年目を迎えました。

☆fufufu7☆
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6月12日(水) 雨時々曇り
昨日 実家から大量のグリーンアスパラガスが宅急便で届きました。
友人に少しお裾分けをしようとTELをしたのですが、
今 福岡に来ていると言う、明日の朝には宮崎に戻る予定ということで、
それ以上のことは聞かずじまいでTELを切りました。
思えば少し沈んだ声だったような気がします。
翌朝 仕事で銀行に行く途中に彼女宅に立ち寄ってみました。
立ち話を短くする中で 友人のお父様が出張先の福岡で体調に変化をきたし
救急車で運ばれ、急遽彼女も福岡に飛んでいたと 事の真相を聞かされました。
幸い 脳梗塞の初期症状だったそうで、今のところ大事には至っていないということでした。
ほっと一安心はしたものの、昨日のTELは我ながらそっけない対応でした。
「どうして、今福岡なの?」
と一言きくべきであったと今思わされています。
友人はその時不安でたまらなかったであろうし、実際何か話をしたそうでした。
私は立ち入って人の話をあれこれ尋ねたりしない性格だと思います。
私自身があまり詮索されるのを好まないということが根底にあるのかもしれません。
これは長所とも、また短所ともなり得るのですが。
時には誤解を招いてしまう事もあるかもしれません。
それにしても愛のない対応でした。
また、自己中心の罪をはっきりと示された時でした。

「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。私は主である。」

レビ記19章18節のみことばです。

at 2002 06/13 7:38 編集
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6月10日(月) 曇りのち雨
お昼頃からとうとう雨が降り出してしまいました。
嫌な風も伴って台風の影響らしいのですが、このまま梅雨入りなのでしょうか。
そんな中、今日は主人の誕生日でした。
今年の4月からは また夫婦二人だけの生活になって初めて迎えるBirthdayは
水入らずでいい感じかなと密かに期待していたのは私だけだったようです。
主人の好物のポテトサラダをたっぷり作って待っていたのに・・・・・・。
いつもと変わりなく、本人は、気ままに食べて飲んで 早めの就寝でした。
まあ、こんなものなのでしょうね。
仕事も一緒ですから、帰宅してまで仕事の話はしないことにしています。
私のすることに対してはあまり干渉もしないし
それはすごく有難いことではあるのですが、一抹の淋しさもありますね。
しかし、つぶやかずに恵みを数えましょう。
神様 あれもこれも、全てあなた様のお恵みですね。感謝します。

「妻たちよあなたがたは 主に従うように、自分の夫に従いなさい。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、
ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
教会がキリストに従うように、妻もすべてのことにおいて、夫に従うべきです。」

エペソ人への手紙6章22〜24節
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6月6日 曇り時々晴れ
昨日は所属教会で 「井上薫・比呂子ご夫妻」をお迎えして集会でした。
平日の夜の集会でしたが たくさんの方が来て下さり祝された集会でした。。
ミッションバラバのグループにお一人で 昨年秋に公開された映画 渡瀬恒彦主演「親分はイエス様」のモデルになった一組のご夫婦のお話でした。

井上さんの奥様は高校生の時に救われてクリスチャンになったのですが・・・・・・・
薫さんのほうは 15歳頃から非行の道に・・・18歳で結婚・・・21歳で離婚・・・やくざの道へ・・・そして覚醒剤に手を染めやめられなくなっていった。
やくざは自分の弱さを見せられず・・・・・いきづまり、毎日死んだほうがいいんだと言う声が聞こえていた。そんな時 手首を切って自殺未遂・・・・助けてくださいといつも自分の中の叫び声が聞こえていた が しかし誰も助けてはくれなかった。

やくざの道で10年程経ったある日 工務店からの依頼で一ヶ月間の仕事が入った。
それが、奥様の比呂子さんの家の改装工事だったのです。
比呂子さんは毎朝 早朝祈祷で教会へ出掛け朝7:00に帰宅していた。
それを毎朝見ていた薫さんは『女の朝帰りか、男と遊んできたのか』と言って冷やかした。
それが二人の出会いだったそうです。

そのようにして不思議な神様の方法によって 比呂子さんは薫さんと出会い、ゴスペルコンサートに誘い、聖書をプレゼントし、祈りによって支えられ
薫さんも やくざでありながら聖書を毎日読み、ついにはすべて読み終えたというのです。
この年(1989年)は札幌の町は抗争事件が相次ぎ組の仲間4人が死んでいた。
しかし、井上さんは、神様の恵みにより、不思議に守られ この年のクリスマスに すべて、神様の準備がなされ親分の許しも得、組からも足をあらうことが出来。。。。。
そして、決心へと導かれ洗礼を受ける事ができたのです。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
第2コリント人への手紙5章17節

”人間は急には変われない あきらめてしまう、しかし神様は何回も何回も造りかえて下さる。
お祈りに応えてくださる。変えられたいと思う人はイエス様の御名によって祈って見て下さい。
このような私でも変えられたのですから。”
井上薫さんからの印象的なメッセージでした。

at 2002 06/06 21:40 記録
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6月9日 晴れ
過ぎる一週間守られ 週の始めに御前に静まり聖日礼拝へ
礼拝説教は「ルカの福音書5章1節〜8節」
【生活の中のイエス様】と題し みことばを取り次いで戴きました。
シモン・ペテロは漁師であった。
イエス様が群集に向かって神のことばを語っておられる時、無関心で漁の網を洗っていた。
イエス様は話が終わるとシモンに向かって
「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」といわれた。
シモンが答えて
「先生、私達は夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
そしてそのとおりにすると、たくさんの魚がはいり網は破れそうになった。・・・・・・・・・・・・
イエスの足もとにひれ伏して
「主よ私のような者から離れてください。私は罪深い人間ですから」と言った。

ペテロさんは漁師ですから、大工であったイエス様よりこの道においては自分はプロであるといった高慢さがありました。
ペテロさんは主を見下したことに気づき悔いたのでしょうが 
さらに、彼が気づかされたのは信仰と生活の分離ということだったのではないでしょうか。
イエス様がペテロさんの舟の指揮をなさったように、仕事も含めて生活のあらゆる分野でキリストを主として歩む人生こそクリスチャンとしてのありかたなのです。

私に今日示されたこと
・信仰と仕事が別の心になってはいないか。
・悔い改めをせずに求めてばかりいないか。
・日々の生活において神様と行いを切り離さずに すべてのことを主に従うようにしているか。

「人の心の高慢は破滅に先立ち、
謙遜は栄誉に先立つ。」

箴言18章12節
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6月7日 くもり
内閣府が7日発表した(2002.1月〜3月期)のGDPでは物価変動分を除いた実質で年率換算率で5.7%増となり(2001.1〜3月期)以来4.4半期ぶりにプラス成長だそうです。
既に景気底入れは政府も宣言しているけれど、私達 庶民の家計にはまだまだ実感として認識できる段階ではありません。
個人消費も増加して、特に衣料・小型車販売が伸びているというのですが。
しかし、こちらの方も 家業の自動車販売の実績には反映されていないような気がするし。。。。。。
国産小型車 トヨタのビッツ、ホンダのフィット、ニッサンのニューマーチ等 確かに登録台数は伸びているのでしょう。
衣料品ですか・・・・個人的には購買意欲が沸いてこないし、欲しいものがないという状態ですから、どうなのでしょうか?
アパレル関係の経営不振ニュースを耳にすることの多い作今、衣料消費の伸びですか?

銀行の抱える不良債権の問題もなんだか混沌としていて このまますんなり景気回復の上昇気流に乗るとは思えません。
なんとも、またまた暗い話題に走って」しまいました。

ダビデの子ども ソロモン王のことばより

「私は快楽を賛美する。
日の下では 食べて、飲んで、楽しむよりほかに、人にとって良いことはない。
これは、日の下で、神が人に与える一生の間にその労苦に添えてくださるものだ。
私は一心に知恵を知り、昼も夜も眠らずに、
地上で行われる人の仕事を見ようとしたとき、
すべては神のみわざであることがわかった。
人は日の下で行われるみわざを見きわめることはできない。
人は労苦して捜し求めても、見出すことはない。
知恵ある者が知っていると思っても、見きわめることはできない。」

伝道者の書8章15節〜17節
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6月4日 晴れ
待ちに待ったワールドカップサッカー”ベルギー戦”
仕事中から そわそわ うきうき楽しみにしてました。 
今日は幸い(?)仕事も忙しくなかったので18:00からしっかりとTV観戦しました。
興奮気味でありながら、しかし冷静に応援させていただきました。(笑)

結果は満足すべきなのでしょうか?
勝てた試合だったような気もするのですけどね。
三点目どうしてファールなのかしら?おかしいでしょう。
引き分けは私的には一番嫌いです。
勝負というものは 白・黒はっきりしないと・・・・・どうもすっきりしませんね。
引き分けなのに勝ち点1と言うのもなんだかね。ルールとはいえ納得できません。変!!
6/9のロシア戦 1−0でいいですから勝利期待してます。
トルシエ・Japan 頑張ってください。
いまだ、興奮冷めやらず、今日の日記は完全に冷静さを失ってますね。
みことばも浮かびません。。。。。。。
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6月3日 晴れ
特別これといって心を乱すこともない平凡な一日でした。
されど、PCに向かっても 書けないのはどうしてでしょうか。。
DIARYそのものが重荷になっているのかもしれません。
最近駄文ばかりで 自信喪失ぎみです。
溢れるほど書きたいと思うときもあるのだけれど・・・・・。
少しここのところ疲れがたまっているし、寝不足が響いているのかもしれませんね。
もともと、低血圧は解っているのだけれど、今日のは格別でした。
少しふらつく感じかな。
測定値は 上:78 下:65でした。
普段は100前後はあるのに・・・・・・・・。
体重も久しぶりに計ったら45kgになっていました。
これは、まずいです。50Kgに戻さないといけません。
少し体力の回復を頑張りましょう。自制することを忘れていました。

『しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、
自制です。
このようなものを禁ずる律法はありません。』

ガラテヤ人への手紙6章22・23節
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6月2日 晴れ
一週間経つのは早いものですね。
先週は特に忙しい週でしたのでなお一層感じます。
週の始め、御前に静まり聖日礼拝へ。

今日の礼拝説教の箇所はローマ書5章7〜8節
からみことばを戴きました。

『正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。
情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んで下さったことにより、
神はわたしたちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。』

ローマ人への手紙5章7・8節

私達がどのようなきっかけで救いの恵みに預れたのかを想うとき 
ただただ一方的な神の哀れみによるものであることを思わされます。
どうぞ、このことを忘れる事がありませんように 
神様に信頼しより頼んでいますから どうぞ、守り導いてください。
どのようにしたら、その神様の愛にお応えすることができるのかを
いつも考えて歩む者とさせてください。

イザヤ書51章1節
「義を追い求める者。主を尋ね求めるものよ。
私に聞け。
あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。』

私はまさに深い穴から掘り出され救われたものです。
もう一度今日掘り出された穴を見つめ直す者とさせてください。
どうぞ、愚かで罪深い者ですけれども
いつもこの大切なことをこころに刻み忘れることがありませんように。
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6月1日 晴れ
水無月になりました。
土曜日ですが 今日は出勤でした。
5月が決算月なので、まだ未処理業務があります。早く仕上げないといけません。

久しぶりにナイト・ロードショーへ、Michael Douglas
主演の「サウンド・オブ・サイレンス」を堪能しました。
サスペンス映画ということで構えて観ていたのですが、
ヒューマニズムが前面に出ていた作品かなと感じました。
とにかく展開の速さもさることながら、どんどんストーリーに引き込まれていく。
息つく暇も 瞬きする余裕さえない。それ程までに観客を魅了する作品でした。
映画を観た感想を書くときに 何処まで書けばといつも悩んでしまうところなのですが・・・・・
で、ちょっぴり さわりだけをご紹介します。
この映画は三つのストーリーが同時に進行していきます。
1.主人公(精神科医者)ネイサンを巡る誘拐された娘ジェシー救出の物語。
2.ネイサンの妻に忍びよる恐怖の物語
3・ 聡明な女刑事アギーを中心に繰り広げられる殺人事件の物語
KEY WORDは 「Don’t say a Word」
テーマは親子の絆でしょうか。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)のエリザベスの心が開かれていくには、”愛”が必要でした。
犯人達の求めた”赤いダイヤ”に象徴される人間の物質欲と対比されて描かれています。
 
おっと、此の辺まででしょうか!後は劇場でどうぞ お楽しみください。
それにしても、ジェシー(スカイ・マッコール・バーツシアク)はとても賢く、
可愛い女の子でした。。。。。。。。。。。。。。

『悪者は自分の悪によって打ち倒され、
正しい者は、自分の死の中にも のがれ場がある。」

箴言14章32節
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