2004年06月の記事
2004 06/27 20:27
Category : 日記
3:1 こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。
3:2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
3:3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
3:4 私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。
3:5 ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。
3:6 このようなことのために、神の怒りが下るのです。
3:7 あなたがたも、以前、そのようなものの中に生きていたときは、そのような歩み方をしていました。
3:8 しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。
3:9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、
3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。
3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。
キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
古い人を脱ぎ捨て新しい人を着た・・・イエス・キリストを信じるということは イエスさまの義の衣を着るということです。
バプテスマ・・・・そのことを象徴しています。
霊的に一度死んだものですが、肉体、古い私はそのまま生き続けます。
クリスチャンにも 不品行、穢れ、情欲、悪い欲、むさぼり(より多くのものを持ちたいなど)はあります。
■不品行は婚姻外の性交をすることを指し、
聖書には 性交は結婚という大切な制度の中でのみ許される行為で、祝福されると記されています。
■むさぼりとは 今、摂理の中にいるというこの現状に感謝できない心を指しています。
また、。。したいという想いであり、イエスさまを知らない人と同じ価値観、人生観、基準で生きることです。
聖書は
●『いつも目を覚ましていなさい』といいます。
●上にあるものを求めなさい・・・>永遠のものを求めなさい・・・>地上にあるものを思わずに天にあるものを思いなさい。と
まだイエス・キリストは完全に現れていませんが、キリストが現れるとその時わたしのいのちも現れます。
聖霊のお働きによって清められ聖化・・・・キリストによって清められたのです。
ですからそれに相応しく歩みなさい。クリスチャンのみが真の知識に至ることができるのです。と
足にまとわり付く罪・・・重荷は必ずしも罪の行いとは限らないし、それは、時間の使い方、娯楽のあり方、また何かとの関わりであるかも知れない。
・貪欲・色情・噂話・不誠実・盗みなど・・・・・これらは信じるものを霊のコースから押し出してしまう。
主は信仰のレースを完璧に一位で走り、私達を励ましながら 続いて走るのを待っておられるのです。
3:2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
3:3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
3:4 私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。
3:5 ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。
3:6 このようなことのために、神の怒りが下るのです。
3:7 あなたがたも、以前、そのようなものの中に生きていたときは、そのような歩み方をしていました。
3:8 しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。
3:9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、
3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。
3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。
キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
古い人を脱ぎ捨て新しい人を着た・・・イエス・キリストを信じるということは イエスさまの義の衣を着るということです。
バプテスマ・・・・そのことを象徴しています。
霊的に一度死んだものですが、肉体、古い私はそのまま生き続けます。
クリスチャンにも 不品行、穢れ、情欲、悪い欲、むさぼり(より多くのものを持ちたいなど)はあります。
■不品行は婚姻外の性交をすることを指し、
聖書には 性交は結婚という大切な制度の中でのみ許される行為で、祝福されると記されています。
■むさぼりとは 今、摂理の中にいるというこの現状に感謝できない心を指しています。
また、。。したいという想いであり、イエスさまを知らない人と同じ価値観、人生観、基準で生きることです。
聖書は
●『いつも目を覚ましていなさい』といいます。
●上にあるものを求めなさい・・・>永遠のものを求めなさい・・・>地上にあるものを思わずに天にあるものを思いなさい。と
まだイエス・キリストは完全に現れていませんが、キリストが現れるとその時わたしのいのちも現れます。
聖霊のお働きによって清められ聖化・・・・キリストによって清められたのです。
ですからそれに相応しく歩みなさい。クリスチャンのみが真の知識に至ることができるのです。と
足にまとわり付く罪・・・重荷は必ずしも罪の行いとは限らないし、それは、時間の使い方、娯楽のあり方、また何かとの関わりであるかも知れない。
・貪欲・色情・噂話・不誠実・盗みなど・・・・・これらは信じるものを霊のコースから押し出してしまう。
主は信仰のレースを完璧に一位で走り、私達を励ましながら 続いて走るのを待っておられるのです。
2004 06/25 22:35
Category : 日記
主よ、どうか私を
もっとゆっくりと生きる者としてください
めまぐるしく動く私の思いを静め
心臓の鼓動を ゆるやかにしてください。
悠久の時の流れを見つめること
気ぜわしい歩みを 落ち着かせてください。
日々の混乱のただなかで
永遠の丘の静けさを 私にお与えください。
私の記憶の底を流れつづける あのなつかしい響き
やさしい歌声で 神経の緊張を解いてください。
疲れをいやす 眠りのふしぎを体験させてください。
一輪の花に目をとめたり
友だちとのんびりおしゃべりをしたり
犬を撫でてやったり、お気に入りの本から
ほんの数行 じっくり味わったりするような
そんなささやかな休暇を取れる
あざやかな生き方を
私にお教えください
主よ、どうか私を
もっとゆっくり生きる者としてください
生涯追い求める価値のあるものに
もっと深く根を下ろし
より高い天の星々の
ゴールに向かって伸びてゆけるよう
どうぞ、あなたの霊感を
お与えください
-+ w.peterson +-
もっとゆっくりと生きる者としてください
めまぐるしく動く私の思いを静め
心臓の鼓動を ゆるやかにしてください。
悠久の時の流れを見つめること
気ぜわしい歩みを 落ち着かせてください。
日々の混乱のただなかで
永遠の丘の静けさを 私にお与えください。
私の記憶の底を流れつづける あのなつかしい響き
やさしい歌声で 神経の緊張を解いてください。
疲れをいやす 眠りのふしぎを体験させてください。
一輪の花に目をとめたり
友だちとのんびりおしゃべりをしたり
犬を撫でてやったり、お気に入りの本から
ほんの数行 じっくり味わったりするような
そんなささやかな休暇を取れる
あざやかな生き方を
私にお教えください
主よ、どうか私を
もっとゆっくり生きる者としてください
生涯追い求める価値のあるものに
もっと深く根を下ろし
より高い天の星々の
ゴールに向かって伸びてゆけるよう
どうぞ、あなたの霊感を
お与えください
-+ w.peterson +-
2004 06/18 06:14
Category : 日記
神は愛です。
神が愛ならどうしてこの世には悲惨な出来事が起こるのでしょう。
何故、人と人とが殺しあう戦争が起こるのでしょう。
”キリスト教なんて信じられない”と否定する人達が、愛を説いているのに何故戦争をするの?
という疑問を抱くのは当然のことだと思います。
歴史を見ても 今日の世界情勢をみても キリスト教国とされている国々が、侵略や殺戮によって現在に至っていることは事実であるし、キリスト教の名の下に行われた歴史的不条理の数々を・・・知っています。
しかし私が信じているのはイエス・キリストであり、キリスト教を信じているのではないのです。
イエス・キリストを個人的な救い主として信じることと、キリスト教徒になることはイコールではありません。このことは 本質的に異なる全く別のことだと思います。
「ただ、自分の敵を愛しなさい。」ルカ 6:35
「悪い者に手向かってはいけません。
あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。」マタイ 5:39
「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」マタイ 5:44
とイエスさまは教えられました。
上記はイエスさまの教えのほんの一部に過ぎませんが、聖書に記されているこの言葉を見ただけでも、歴史の中で私たちが見聞きしていること、現在のイラク情勢の中にみるキリスト教というものは 主の御思いとなんとかけ離れたものであるかということです。
『あなたの敵を愛しなさい』・・・ということばを心に刻み、これが主が私達に望んでおられることだと信じている人々が どうして罪のない人々の血を流すことができるでしょうか。
熱心なキリスト教徒といわれるブッシュ大統領はどうなのでしょう。
聖書に記されてある初代教会の人達が握っていたものと同じ信仰を継承しているはずの彼は、アフガニスタンへの報復攻撃を決定し、イラク戦争へと突き進んでいきました。
今私たちが目撃している「歴史的不条理」は初めの姿からは 遠くかけ離れ 大切なエッセンスを失ってしまった形骸化したキリスト教の姿なのかもしれません。
ある方の日記を読んで、BBSに書き込むには少し躊躇いがあり、ここに感じたことを記してみました。
”神を信じていると言いながら国家命令とあらば十字を切りながら、戦場で人殺しも平気でする、そんな信仰があるものか・・・と言いたかったのでしょう。”
日記にはキリスト教徒というより、モルモン教徒の布教活動と彼らの信じる神についての記述だったと思いますが。
モルモン教はキリスト教の亜流というより、異端の宗教(カルト)といえます。
モルモン教もエホバの証人も19世紀、リバイバル集会が盛んだったアメリカ東部でキリスト教に接したことのある人々によって設立され、広がりました。
彼らにとっては イエス・キリストは救い主ではありませんし、十字架の贖いも信じていません。
彼らは 独自訳の聖書+モルモン教典を信じています。当然 モルモン教会には十字架はありません。キリスト教とは一線を画します。
何故 人は争い、戦争をするのか・・・・それは人の中にある”自己中心性 ”聖書で言う罪ですが、これが世界の混乱の元なのだと思います。
争いは人の内にある欲望そのものなのです。原罪として全ての人間が生まれながらに持っているものなのです。聖書はこの心の方向性こそが争いの元だと宣言します。
『何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。
あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。
あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。
うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。』
ヤコブ4:1・2
無神論者が「神が愛なら なぜ?」と疑問を投げかけたからといって
神が愛でなくなるということではありません。
神は愛だからです。
『私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。』
第�Tヨハネ4:16
神が愛ならどうしてこの世には悲惨な出来事が起こるのでしょう。
何故、人と人とが殺しあう戦争が起こるのでしょう。
”キリスト教なんて信じられない”と否定する人達が、愛を説いているのに何故戦争をするの?
という疑問を抱くのは当然のことだと思います。
歴史を見ても 今日の世界情勢をみても キリスト教国とされている国々が、侵略や殺戮によって現在に至っていることは事実であるし、キリスト教の名の下に行われた歴史的不条理の数々を・・・知っています。
しかし私が信じているのはイエス・キリストであり、キリスト教を信じているのではないのです。
イエス・キリストを個人的な救い主として信じることと、キリスト教徒になることはイコールではありません。このことは 本質的に異なる全く別のことだと思います。
「ただ、自分の敵を愛しなさい。」ルカ 6:35
「悪い者に手向かってはいけません。
あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。」マタイ 5:39
「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」マタイ 5:44
とイエスさまは教えられました。
上記はイエスさまの教えのほんの一部に過ぎませんが、聖書に記されているこの言葉を見ただけでも、歴史の中で私たちが見聞きしていること、現在のイラク情勢の中にみるキリスト教というものは 主の御思いとなんとかけ離れたものであるかということです。
『あなたの敵を愛しなさい』・・・ということばを心に刻み、これが主が私達に望んでおられることだと信じている人々が どうして罪のない人々の血を流すことができるでしょうか。
熱心なキリスト教徒といわれるブッシュ大統領はどうなのでしょう。
聖書に記されてある初代教会の人達が握っていたものと同じ信仰を継承しているはずの彼は、アフガニスタンへの報復攻撃を決定し、イラク戦争へと突き進んでいきました。
今私たちが目撃している「歴史的不条理」は初めの姿からは 遠くかけ離れ 大切なエッセンスを失ってしまった形骸化したキリスト教の姿なのかもしれません。
ある方の日記を読んで、BBSに書き込むには少し躊躇いがあり、ここに感じたことを記してみました。
”神を信じていると言いながら国家命令とあらば十字を切りながら、戦場で人殺しも平気でする、そんな信仰があるものか・・・と言いたかったのでしょう。”
日記にはキリスト教徒というより、モルモン教徒の布教活動と彼らの信じる神についての記述だったと思いますが。
モルモン教はキリスト教の亜流というより、異端の宗教(カルト)といえます。
モルモン教もエホバの証人も19世紀、リバイバル集会が盛んだったアメリカ東部でキリスト教に接したことのある人々によって設立され、広がりました。
彼らにとっては イエス・キリストは救い主ではありませんし、十字架の贖いも信じていません。
彼らは 独自訳の聖書+モルモン教典を信じています。当然 モルモン教会には十字架はありません。キリスト教とは一線を画します。
何故 人は争い、戦争をするのか・・・・それは人の中にある”自己中心性 ”聖書で言う罪ですが、これが世界の混乱の元なのだと思います。
争いは人の内にある欲望そのものなのです。原罪として全ての人間が生まれながらに持っているものなのです。聖書はこの心の方向性こそが争いの元だと宣言します。
『何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。
あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。
あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。
うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。』
ヤコブ4:1・2
無神論者が「神が愛なら なぜ?」と疑問を投げかけたからといって
神が愛でなくなるということではありません。
神は愛だからです。
『私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。』
第�Tヨハネ4:16