2004年08月の記事
2004 08/25 08:45
Category : 日記
◆[ その実は私の口に甘いのです。] 雅歌2:3
信仰は、聖書の中で、あらゆる感覚の象徴として語られている。
●それは視覚である。
「わたしを仰ぎ見て救われよ。」
●それは聴覚である。
「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。」
●信仰は嗅覚である。
「あなたの着物はみな、没薬、アロエ、肉桂のかおりを放ち……。」「あなたの名は注がれる香油のよう。」
●信仰は霊的な触覚である。この信仰によって、女はキリストの後ろから近寄って主の着物に触った。そしてこれによって私たちもいのちのよきことばに触れるのである。
●信仰はそれとともにたましいの味覚である。「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。」
キリストは言われた。「人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。」
この「味覚」は、信仰の最も高度な働きの一つである。
○信仰の最初の働きの一つは聴覚である。
私たちは外の耳だけでなく、内の耳をもって神の声を聞く。それを私たちは神のことばとして聞き、かつ神のことばであることを信じる。これが信仰の「聴覚」である。
○その後、私たちの心は私たちの前にある真理を見る。すなわちそれを理解し、その意味を認める。それが信仰の「視覚」である。
○次に私たちは、その尊いことを発見し、それを賞賛し始め、それがどれほど良い香りを放つかを見いだす。これが「嗅覚」の信仰である。
それから私たちは、キリストにあって備えられているあわれみを自分のものにする。これが「触覚」の信仰である。
○そして、喜び、平和、楽しみ、交わりなどが続く。これが「味覚」の信仰である。
これらの信仰の働きの一つ一つは、どれも霊的向上に導くものである。
まずキリストの声を、たましいに対して語られる確かな神の声として聞くならば救われる。
しかし私たちに真の喜びを与えるのは、聖い味覚によりキリストを心のうちに迎え入れ、主の麗しさと尊さとを知って、たましいの糧とする信仰である。
◆Charles Haddon Spurgeon著 「朝ごとに」より
信仰は、聖書の中で、あらゆる感覚の象徴として語られている。
●それは視覚である。
「わたしを仰ぎ見て救われよ。」
●それは聴覚である。
「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。」
●信仰は嗅覚である。
「あなたの着物はみな、没薬、アロエ、肉桂のかおりを放ち……。」「あなたの名は注がれる香油のよう。」
●信仰は霊的な触覚である。この信仰によって、女はキリストの後ろから近寄って主の着物に触った。そしてこれによって私たちもいのちのよきことばに触れるのである。
●信仰はそれとともにたましいの味覚である。「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。」
キリストは言われた。「人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。」
この「味覚」は、信仰の最も高度な働きの一つである。
○信仰の最初の働きの一つは聴覚である。
私たちは外の耳だけでなく、内の耳をもって神の声を聞く。それを私たちは神のことばとして聞き、かつ神のことばであることを信じる。これが信仰の「聴覚」である。
○その後、私たちの心は私たちの前にある真理を見る。すなわちそれを理解し、その意味を認める。それが信仰の「視覚」である。
○次に私たちは、その尊いことを発見し、それを賞賛し始め、それがどれほど良い香りを放つかを見いだす。これが「嗅覚」の信仰である。
それから私たちは、キリストにあって備えられているあわれみを自分のものにする。これが「触覚」の信仰である。
○そして、喜び、平和、楽しみ、交わりなどが続く。これが「味覚」の信仰である。
これらの信仰の働きの一つ一つは、どれも霊的向上に導くものである。
まずキリストの声を、たましいに対して語られる確かな神の声として聞くならば救われる。
しかし私たちに真の喜びを与えるのは、聖い味覚によりキリストを心のうちに迎え入れ、主の麗しさと尊さとを知って、たましいの糧とする信仰である。
◆Charles Haddon Spurgeon著 「朝ごとに」より
2004 08/23 06:28
Category : 日記
◆人を潤す者は自分も潤される。(箴言11:25)
私たちはここにおいて大きな教訓を与えられる。
すなわち、得るためには与えなければならず、蓄えるためには、まず散らさなければならない、ということである。
●幸福を願うならば、まず他人を幸福にしなければならない。
●霊的に盛んになるためには、他人の霊的向上を計らなければならない。
人を潤すことによって、自分自身も潤される。どのようにしてであろうか。
他人の益になろうとする努力が、私たちを有用にする力を導き出す。
私たちは、潜在的な才能と眠っている能力をもっている。それは働かせることによって発揮される。
私たちの活動力は、私たち自身にも隠されており、主の戦いを戦い、険しい山をよじ登るまでは、自分にその力があることに気づかない。
やもめの涙をぬぐい、両親のない子どもの悲しみを慰める時、初めて自分のうちに優しい同情の心があるのに気づく。
私たちは他の人を教えようとして、しばしば自分自身に対する教訓を得る。
ああ、ある人々は病床においてなんという恵みの学課を学んだことであろう。
私たちは聖書を教えようとして出て行き、かえって自分の知るところの浅いことを発見し、赤面して帰る。
貧しい聖徒と話し合って、私たちに対する神の道をさらに完全に教えられ、神の真理に対するさらに深い洞察力を与えられる。
人を潤すことで私たちは謙遜になる。今まで気づかなかった恵みがいかに多いかを見いだし、貧しい聖徒がいかに知識において私たちにまさるかを発見する。
他の人のために働くことによって、自分自身の慰めもまた大きくなる。
私たちは他の人を励ますために力を尽くす。その慰めは私たち自身の心を喜ばす。
それはちょうど雪の中に二人の男がいて、一人が、死に瀕しているもう一人の男の手足をこすることで、自分の血液の循環がよくなって助かった物語のようである。
ツァレファテの貧しいやもめは、乏しい食物を分けて預言者を助けたが、それから後、乏しさを経験しなかった。だから、与えよ。そうすれば、あふれるまでにして返されるであろう。
”朝ごとに”より.....スポルジョン著
私たちはここにおいて大きな教訓を与えられる。
すなわち、得るためには与えなければならず、蓄えるためには、まず散らさなければならない、ということである。
●幸福を願うならば、まず他人を幸福にしなければならない。
●霊的に盛んになるためには、他人の霊的向上を計らなければならない。
人を潤すことによって、自分自身も潤される。どのようにしてであろうか。
他人の益になろうとする努力が、私たちを有用にする力を導き出す。
私たちは、潜在的な才能と眠っている能力をもっている。それは働かせることによって発揮される。
私たちの活動力は、私たち自身にも隠されており、主の戦いを戦い、険しい山をよじ登るまでは、自分にその力があることに気づかない。
やもめの涙をぬぐい、両親のない子どもの悲しみを慰める時、初めて自分のうちに優しい同情の心があるのに気づく。
私たちは他の人を教えようとして、しばしば自分自身に対する教訓を得る。
ああ、ある人々は病床においてなんという恵みの学課を学んだことであろう。
私たちは聖書を教えようとして出て行き、かえって自分の知るところの浅いことを発見し、赤面して帰る。
貧しい聖徒と話し合って、私たちに対する神の道をさらに完全に教えられ、神の真理に対するさらに深い洞察力を与えられる。
人を潤すことで私たちは謙遜になる。今まで気づかなかった恵みがいかに多いかを見いだし、貧しい聖徒がいかに知識において私たちにまさるかを発見する。
他の人のために働くことによって、自分自身の慰めもまた大きくなる。
私たちは他の人を励ますために力を尽くす。その慰めは私たち自身の心を喜ばす。
それはちょうど雪の中に二人の男がいて、一人が、死に瀕しているもう一人の男の手足をこすることで、自分の血液の循環がよくなって助かった物語のようである。
ツァレファテの貧しいやもめは、乏しい食物を分けて預言者を助けたが、それから後、乏しさを経験しなかった。だから、与えよ。そうすれば、あふれるまでにして返されるであろう。
”朝ごとに”より.....スポルジョン著
2004 08/09 20:31
Category : 日記
昨日の礼拝説教をまとめて、いざアップという時に PCがfreezeしてしまいました。
もう一度頑張るパワーは持ちあわせていないので、要点だけチェック。
詩篇136編からのメッセージでしたが、
輝いた人生とは恵を数え、恵を刻みつけて生きるということ でした。
人は自分が傷つけたことはすぐ忘れるけれど・・・・・
傷つけられたことは なかなか、否、けっして忘れない。
これが人間の罪であり、復讐の連鎖を生むのです。と
おりしも今日は長崎原爆記念日です。
平和を築くにはこの人間の本質を認めることから始まります。
恨みつらみ、不満を数えるのではなく、各々の歴史を振り返りながら、与えられてきたものを感謝し、数えることが大切なことです。
真にアーメンです。
詩篇136編
『136:1 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
136:2 神の神であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。
136:3 主の主であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。
136:4 ただひとり、大いなる不思議を行なわれる方に。その恵みはとこしえまで。
136:5 英知をもって天を造られた方に。その恵みはとこしえまで。
136:6 地を水の上に敷かれた方に。その恵みはとこしえまで。
136:7 大いなる光を造られた方に。その恵みはとこしえまで。
136:8 昼を治める太陽を造られた方に。その恵みはとこしえまで。
136:9 夜を治める月と星を造られた方に。その恵みはとこしえまで。
136:10 エジプトの初子を打たれた方に。その恵みはとこしえまで。
136:11 主はイスラエルをエジプトの真中から連れ出された。その恵みはとこしえまで。
136:12 力強い手と差し伸ばされた腕をもって。その恵みはとこしえまで。
136:13 葦の海を二つに分けられた方に。その恵みはとこしえまで。
136:14 主はイスラエルにその中を通らせられた。その恵みはとこしえまで。
136:15 パロとその軍勢を葦の海に投げ込まれた。その恵みはとこしえまで。
136:16 荒野で御民を導かれた方に。その恵みはとこしえまで。
136:17 大いなる王たちを打たれた方に。その恵みはとこしえまで。
136:18 主は力ある王たちを、殺された。その恵みはとこしえまで。
136:19 エモリ人の王シホンを殺された。その恵みはとこしえまで。
136:20 バシャンの王オグを殺された。その恵みはとこしえまで。
136:21 主は彼らの地を、相続の地として与えられた。その恵みはとこしえまで。
136:22 主のしもべイスラエルに相続の地として。その恵みはとこしえまで。
136:23 主は私たちが卑しめられたとき、私たちを御心に留められた。その恵みはとこしえまで。
136:24 主は私たちを敵から救い出された。その恵みはとこしえまで。
136:25 主はすべての肉なる者に食物を与えられる。その恵みはとこしえまで。
136:26 天の神に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。
もう一度頑張るパワーは持ちあわせていないので、要点だけチェック。
詩篇136編からのメッセージでしたが、
輝いた人生とは恵を数え、恵を刻みつけて生きるということ でした。
人は自分が傷つけたことはすぐ忘れるけれど・・・・・
傷つけられたことは なかなか、否、けっして忘れない。
これが人間の罪であり、復讐の連鎖を生むのです。と
おりしも今日は長崎原爆記念日です。
平和を築くにはこの人間の本質を認めることから始まります。
恨みつらみ、不満を数えるのではなく、各々の歴史を振り返りながら、与えられてきたものを感謝し、数えることが大切なことです。
真にアーメンです。
詩篇136編
『136:1 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
136:2 神の神であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。
136:3 主の主であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。
136:4 ただひとり、大いなる不思議を行なわれる方に。その恵みはとこしえまで。
136:5 英知をもって天を造られた方に。その恵みはとこしえまで。
136:6 地を水の上に敷かれた方に。その恵みはとこしえまで。
136:7 大いなる光を造られた方に。その恵みはとこしえまで。
136:8 昼を治める太陽を造られた方に。その恵みはとこしえまで。
136:9 夜を治める月と星を造られた方に。その恵みはとこしえまで。
136:10 エジプトの初子を打たれた方に。その恵みはとこしえまで。
136:11 主はイスラエルをエジプトの真中から連れ出された。その恵みはとこしえまで。
136:12 力強い手と差し伸ばされた腕をもって。その恵みはとこしえまで。
136:13 葦の海を二つに分けられた方に。その恵みはとこしえまで。
136:14 主はイスラエルにその中を通らせられた。その恵みはとこしえまで。
136:15 パロとその軍勢を葦の海に投げ込まれた。その恵みはとこしえまで。
136:16 荒野で御民を導かれた方に。その恵みはとこしえまで。
136:17 大いなる王たちを打たれた方に。その恵みはとこしえまで。
136:18 主は力ある王たちを、殺された。その恵みはとこしえまで。
136:19 エモリ人の王シホンを殺された。その恵みはとこしえまで。
136:20 バシャンの王オグを殺された。その恵みはとこしえまで。
136:21 主は彼らの地を、相続の地として与えられた。その恵みはとこしえまで。
136:22 主のしもべイスラエルに相続の地として。その恵みはとこしえまで。
136:23 主は私たちが卑しめられたとき、私たちを御心に留められた。その恵みはとこしえまで。
136:24 主は私たちを敵から救い出された。その恵みはとこしえまで。
136:25 主はすべての肉なる者に食物を与えられる。その恵みはとこしえまで。
136:26 天の神に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。
2004 08/06 20:24
Category : 日記
聖書日課
◆神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
(ローマ人への手紙8:28)
信者は、ある一点について絶対的な確信をもつ。たとえば舟が最も激しく揺れる時、舟のともには神が座しておられることを知っている。
見えない手が常に世界の舵をとっており、摂理の潮がどこに流れようと、神が支配されることを知っている。心を奮い立たせるこの知識は、彼をすべてのことに対して備えさせる。
彼は荒れ狂う怒濤を見渡し、イエスが大波の上を歩いて近づき、
「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われる声を聞く。
また神が常に賢明な方であることを知っているので、事故や失敗などありえないことを確信する。
彼はこう言う。「たとえ私の持っているものをすべて失っても、それがみこころならば、むしろ失ったほうがいい。もし神の定められたことならば、最悪の災いであっても、それは私にとって最も賢明な、また最も親切な賜物である。」
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」と。
クリスチャンはこれを理論として把握しているだけではなく、これが事実であると知っている。
今まですべてのことは働いて益となってきた。すべてのことが、すばらしい祝福された結果をもたらしてきた。だから、神がすべてを支配し、災いの中からよいものを与えてくださることを信じるので、心が確信に満たされ、あらゆる試練にも冷静に直面できる。
信者はすべてをゆだねてこう祈る。
「私の神様。あなたのよいとご覧になるものを送ってください。あなたの子どもに害になるものを、あなたは決して与えられませんから」と。
私のたましいよ。「神はいつ私の思い煩いを取り除かれるのか」と言ってはならない。全能なる神は至る所にしもべをもっておられる。神の方法は崇高で、そのみこころはいつくしみ深い。神は決して定められた時に先立たれることもなく、また遅れることもなさらない。
◆Charles Haddon Spurgeon著 「朝ごとに」より
◆神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
(ローマ人への手紙8:28)
信者は、ある一点について絶対的な確信をもつ。たとえば舟が最も激しく揺れる時、舟のともには神が座しておられることを知っている。
見えない手が常に世界の舵をとっており、摂理の潮がどこに流れようと、神が支配されることを知っている。心を奮い立たせるこの知識は、彼をすべてのことに対して備えさせる。
彼は荒れ狂う怒濤を見渡し、イエスが大波の上を歩いて近づき、
「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われる声を聞く。
また神が常に賢明な方であることを知っているので、事故や失敗などありえないことを確信する。
彼はこう言う。「たとえ私の持っているものをすべて失っても、それがみこころならば、むしろ失ったほうがいい。もし神の定められたことならば、最悪の災いであっても、それは私にとって最も賢明な、また最も親切な賜物である。」
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」と。
クリスチャンはこれを理論として把握しているだけではなく、これが事実であると知っている。
今まですべてのことは働いて益となってきた。すべてのことが、すばらしい祝福された結果をもたらしてきた。だから、神がすべてを支配し、災いの中からよいものを与えてくださることを信じるので、心が確信に満たされ、あらゆる試練にも冷静に直面できる。
信者はすべてをゆだねてこう祈る。
「私の神様。あなたのよいとご覧になるものを送ってください。あなたの子どもに害になるものを、あなたは決して与えられませんから」と。
私のたましいよ。「神はいつ私の思い煩いを取り除かれるのか」と言ってはならない。全能なる神は至る所にしもべをもっておられる。神の方法は崇高で、そのみこころはいつくしみ深い。神は決して定められた時に先立たれることもなく、また遅れることもなさらない。
◆Charles Haddon Spurgeon著 「朝ごとに」より
2004 08/05 00:06
Category : 日記
感謝せよ・・・・・
8月1日聖日のバイブルクラスの学びは第�Tコリント1章4〜9節から みことばの解き明かしでした。
『1:4 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。
1:5 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
1:6 それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、
1:7 その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。
1:8 主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。
1:9 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました』
コリントは ギリシャ本土とペロホネソス半島を結ぶ地峡にあり、当時アテネより栄えていた町でした。
(ローマ、エペソ、アレキサンドリア、に次いで需要な都市)
この書簡が書かれた当時(A.D.55・56年)のコリントの教会は不品行(近親相姦)・分派・偶像礼拝・異言・霊の賜物・復活の否定の問題・献金等 問題の多い教会でした。
使徒パウロはアクラとプリスキラというよき協力者を得て 一年半滞在して伝道しました。
その結果、多くのコリント人が信仰に入り、コリント教会が形成されて行ったのです。
パウロの感謝
1.
4節、特別恩寵(イエスキリストを信じる者に与えられる恵)ゆえに神に感謝
2.
5節、知識とは福音を理解する知恵である。私たちはノンクリスチャンの方々にも普通の言葉と知識で福音を説明できるように前もって準備しなければいけません。
3.
6節、言葉で、さらに生活の中で証をする。
生活の変化によって神に感謝することが出来る。ザアカイのように・・・・・。
4.
8節、再臨待望・・・・ここでイエス・キリストの日と記されている 再臨の日。
信仰者として証の生活をすることはもちろん大切である。
しかし、再臨を強く待ち望む者でありたい。
再臨の日が恐ろしい・・・・これは裁きの日であるからです。
クリスチャンは保護されることを覚え、感謝。
5.
9節、私たちクリスチャンはキリストの尊い御業に加えられているということ・・・・感謝。
キリストの交わりの中に入れられており、神の子としての選びに感謝。
礼拝の時キリストと出会って交わっているでしょうか?
悲観的に観てしまうことはないでしょうか?
キリスト教は喜びと感謝の宗教です、恵を数え上げ、どのような状況下にあっても感謝しましょう。
『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』
詩篇103:2
8月1日聖日のバイブルクラスの学びは第�Tコリント1章4〜9節から みことばの解き明かしでした。
『1:4 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。
1:5 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
1:6 それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、
1:7 その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。
1:8 主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。
1:9 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました』
コリントは ギリシャ本土とペロホネソス半島を結ぶ地峡にあり、当時アテネより栄えていた町でした。
(ローマ、エペソ、アレキサンドリア、に次いで需要な都市)
この書簡が書かれた当時(A.D.55・56年)のコリントの教会は不品行(近親相姦)・分派・偶像礼拝・異言・霊の賜物・復活の否定の問題・献金等 問題の多い教会でした。
使徒パウロはアクラとプリスキラというよき協力者を得て 一年半滞在して伝道しました。
その結果、多くのコリント人が信仰に入り、コリント教会が形成されて行ったのです。
パウロの感謝
1.
4節、特別恩寵(イエスキリストを信じる者に与えられる恵)ゆえに神に感謝
2.
5節、知識とは福音を理解する知恵である。私たちはノンクリスチャンの方々にも普通の言葉と知識で福音を説明できるように前もって準備しなければいけません。
3.
6節、言葉で、さらに生活の中で証をする。
生活の変化によって神に感謝することが出来る。ザアカイのように・・・・・。
4.
8節、再臨待望・・・・ここでイエス・キリストの日と記されている 再臨の日。
信仰者として証の生活をすることはもちろん大切である。
しかし、再臨を強く待ち望む者でありたい。
再臨の日が恐ろしい・・・・これは裁きの日であるからです。
クリスチャンは保護されることを覚え、感謝。
5.
9節、私たちクリスチャンはキリストの尊い御業に加えられているということ・・・・感謝。
キリストの交わりの中に入れられており、神の子としての選びに感謝。
礼拝の時キリストと出会って交わっているでしょうか?
悲観的に観てしまうことはないでしょうか?
キリスト教は喜びと感謝の宗教です、恵を数え上げ、どのような状況下にあっても感謝しましょう。
『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』
詩篇103:2