2003年12月の記事


よいお年をお迎えください
明日からしばらく 留守にいたします。
2003年も大きな祝福と恵のうちに守られたことを感謝します。



第 103篇 ダビデによる

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、

あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

主はすべてしいたげられている人々のために、正義とさばきを行なわれる。

 主は、ご自身の道をモーセに、そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。

主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。

主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。

私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、
私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。

天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。

東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。

父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。

主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。

人の日は、草のよう。野の花のように咲く。

風がそこを過ぎると、それは、もはやない。その場所すら、それを、知らない。

しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。

主の義はその子らの子に及び、 主の契約を守る者、

その戒めを心に留めて、行なう者に及ぶ。

主は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める。

主をほめたたえよ。御使いたちよ。
みことばの声に聞き従い、みことばを行なう力ある勇士たちよ。

主をほめたたえよ。主のすべての軍勢よ。
みこころを行ない、主に仕える者たちよ。

主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
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12月25日
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができない
とは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」
・・・・・ピリピ人への手紙 2章6・7
主よ感謝いたします。
暗い馬小屋で生まれ、朽ちた飼い葉桶に寝かせられました。
主は 罪人とともに洗礼を受け、虐げられた人々と共に食し、病の人に触れ、
自分は不遇だ、敗北者だ、孤独だと感じている人々に恵みの手を差し伸べられました。
私たちと同じ”人”となり、”人”として生き、その手でわたくしたちを導き、
わたくしたちの悲しみに涙を流し、喜びにご自分の思いを重ねてくださいました。

この2003年のクリスマスの時 主の成してくださった恵みを一つ一つ数え、感謝する時となりました。ありがとうございます。
もう一度インマヌエルの主を心にお迎えし、私の心の野を果てしなく歩んでくださいますように。

2003 CHRISTMAS
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聖 夜
オ・ホーリィ・ナイト!(讃美歌第2編219番)





O Holy Night
ああ、聖なる夜
The stars are brightly shining
さざめく星たちのきらめき
It is the night of the dear Savior's birth!
愛する主が 降誕された夜
Long lay the world in sin and error pining
罪と過ちの中 世界は待ち焦がれ
Till He appear'd and the soul felt its worth.
主の降誕に 魂はよみがえる
A thrill of hope the weary world rejoices
希望の輝きは 苦しみの世を歓びに染め
For yonder breaks a new and glorious morn!
遠くから始まる 輝く新しい夜明け

Fall on your knees
ひざまずき 耳すませ
Oh hear the angel voices
御使いたちの歌声に
Oh night divine
神が現われ給うた夜
Oh night when Christ was born
主が降誕された夜
Oh night divine
ああ、神聖な夜
Oh night oh night divine
ああ、神聖な夜

Led by the light of Faith serenely beaming
穏やかに燃える 信仰の光で
With glowing hearts by His cradle we stand
火照る心もて 御子の傍らに寄り集い
So led by light of a star sweetly gleaming
優しく光る 星のきらめきに
Here come the wise men from Orient land
東から訪れる 賢者たち
The King of Kings lay thus in lowly manger
卑しい馬槽(まぶね)に眠る 王の中の王は
In all our trials born to be our friend.
我らが苦難の時 我らを守られるために降誕された

Fall on your knees
ひざまずき 耳すませ
Oh hear the angel voices
御使いたちの歌声に
Oh night divine
神が現われ給うた夜
Oh night when Christ was born
主が降誕された夜
Oh night divine
ああ、神聖な夜
Oh night oh night divine
ああ、神聖な夜

Truly He taught us to love one another
主は 互いを愛するよう説かれた
His law is love and His gospel is peace
その掟(おきて)は愛、その福音(おしえ)は平和
Chains shall He break for the slave is our brother
隷属の鎖は断ち切られ 兄弟(はらから)となり
And in His name all oppression shall cease
主の御名の下に 圧政は姿を消す
Sweet hymns of joy in grateful chorus raise we
優しい歓びの讃歌は 感謝とともに広がる
Let all within us praise His holy name.
聖なる御名を 讃えながら

Fall on your knees
ひざまずき 耳すませ
Oh hear the angel voices
御使いたちの歌声に
Oh night divine
神が現われ給うた夜
Oh night when Christ was born
主が降誕された夜
Oh night divine
ああ、神聖な夜
Oh night oh night divine
ああ、神聖な夜
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2003年クリスマス聖歌隊讃美歌
『 ベツレヘムの町 』


1.

ベツレヘムの町 いと静けし

眠りし空には 星まばたき

暗きに かがやく 永久のひかり

のぞみと恐れぞ ここに出会う


2.
あしたの星みな ともに告げぬ

「みかみに み栄え 地に平和」と

マリアより生まれ 人となりし

み使いの守る くすしきイエス




3.
静かに生まれし 神のみ子は

われらの心に 宿り来る

おごれるこの世に 悩みを持ち

心よわき者 主を迎えよ


4.
ベツレヘムのみ子 いまぞ くだり

罪とが取り去り 宿りたまえ

み使いら告ぐる よきおとずれ

インマヌエルの主よ 来たりたまえ

[ O Little town of Bethlehem ]----- Phlips Brooks1863

原曲は [ FOREST GREEN ]
Traditional English melody------An Ralgh Vaughan Williams 1903

今年のクリスマス礼拝の聖歌隊の特別讃美は「ベツレヘムの町」。
イギリス国教会の古いクリスマスキャロルだそうです。
パートごとの練習は数回しましたが、合同練習が出来ていません。
少し練習不足です。21日と24日に心から讃美を捧げることが出来ますように、
守りと導きを与えてください。
また讃美を聴くおひとりおひとりに 主が恵を持って近づいて下さり、
クリスマスの素晴らしいメッセージが届きますように・・・・・・。
イエスさまを心にお迎えすることができますように。

主の御名によって祈ります。・・・・・AMEN
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エジプトへの逃避
彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。

「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。
そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。
ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」

そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、
ヘロデが死ぬまでそこにいた。



これは、主が預言者を通して、
「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。」と言われた事が成就するためであった。

その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。
その年令は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。
そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。

「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。
ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」

ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現われて、言った。

「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。
幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」

そこで、彼は立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地にはいった。
しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。
そして、ナザレという町に行って住んだ。
これは預言者たちを通して
「この方はナザレ人と呼ばれる。」と言われた事が成就するためであった。』

マタイの福音書2章13 〜23節
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東方の博士の訪問
『 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、
見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。
私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、
キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
彼らは王に言った。

「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。
わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」

そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。

「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」

彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。
すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、
その上にとどまった。
その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。

そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。
そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、
別の道から自分の国へ帰って行った。』

マタイの福音書2章1〜12節
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イエス・キリストの誕生
『イエス・キリストの誕生は次のようであった。
その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。
「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。
「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、
そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。』

マタイの福音書1章18〜25節
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マリヤの讃歌
マリヤは言った。

「わがたましいは主をあがめ、
わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主は この卑しいはしために
目を留めてくださったからです。
ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、
私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。
その御名は聖く、そのあわれみは、
主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
主は、御腕をもって力強いわざをなし、
心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
権力ある者を王位から引き降ろされます。
低い者を高く引き上げ、
飢えた者を良いもので満ち足らせ、
富む者を何も持たせないで追い返されました。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、
そのしもべイスラエルをお助けになりました。
私たちの先祖たち、アブラハムと
その子孫に語られたとおりです。」

ルカの福音書1章46節〜55節
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受胎告知
御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。

「おめでとう、恵まれた方。
主があなたとともにおられます。」

しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、
これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
すると御使いが言った。

「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。
また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」



そこで、マリヤは御使いに言った。

「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」

御使いは答えて言った。

「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。
それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。
不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
神にとって不可能なことは一つもありません。」

マリヤは言った。

「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」

こうして御使いは彼女から去って行った。

ルカの福音書1章26〜38節
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あなたは、どこにいるのか?
今朝はかなり冷え込み、ここにきて、ようやく12月らしくなってきました。
7日からアドヴェントの2週目に入り、2本目の蝋燭に灯が灯りました。
喜びと感謝をもってクリスマスを待ち望む気持ちが少しずつ高まってきました。
最近、Gospelを滞っていましたが、先日の礼拝説教のメッセージを想い起こし、示されたことをアップいたします。

創世記1章1〜3節

『1:1 初めに、神が天と地を創造した。

1:2 地は形がなく、何もなかった。

やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。

1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。』

新改訳聖書刊行会理事長の津村俊夫先生から礼拝メッセージを取次いでいただきました。

10月末、新改訳聖書(日本聖書刊行会)が改定され、発売されましたが、
その改定された新改訳第3版で同じ箇所を記しますと

「 初めに、神が天と地を創造した。

 地は茫漠として何もなかった。

 やみが大水の上にあり、神の霊が水の上に動いていた。

 神は仰せられた。

 『光があれ。』すると光があった。」



最近、多くの人が自殺をします。
『何故死に急ぐのですか?』の問いに、彼らは
それでは 『何故、私たちは生きるのですか?』と問われるかもしれません。
私達は 虚しさを忘れる為に 忙しくし、虚しさから解き放たれたいと思います。
究極の忘れること・・・・・これが死ぬことなのでしょう。
私たち人間は 生まれてからこのかた、
「ここに居ていいんだよ」という居場所を求めて生きているのではないでしょうか。

創世記3:9

『神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。
「あなたは、どこにいるのか。」』

神は常に、『あなたはどこに居るのか』
と問い続けておられるのです。
聖書は、神は永遠の生存者であったといいます。
他にも、たくさんの神々がいるけれども・・・・神が居るかどうかではなくて、
聖書は、神が居られますが・・・・どういう方であられるかということを紹介されている。
天地創造の前は、神さまはどうされていたのでしょうか?
・時間もお造りになり、神の他の存在するものはすべて、神によって存在させられた。
聖書は
●始まり------> 明確に示している。
●終わり------> はっきりと示されている。
神は はっきりとした目的をもってこの世を創られました。

■古代オリエントの神話には、必ず神、女神がいます。
これは、人間の世界を投影しているといえます。
しかし、聖書の創世記1章-------女神はいません。
神話を良く知っている方は この聖書の箇所を読むと 圧倒されます。
男・女は、物事を生み出す出発点ではなく、神が造られた存在なのです。
人間を造られた神、天地万物を創造された神は存在するということ。
1章24節・・・動物・植物・・・・地から生じ、地に帰る。
動物と人間の違いは、神のかたちに造られたこと。
人間は神の代わりに自然界を治めるはずでした。
しかし、自分勝手に、(罪ゆえに)自然界を破壊してしまっています。
また、自然界のみならず、人と人との関係も、本来あってはならない関係------ おかしい、
神との関係------ どこか おかしい。
3章10節「・・・恐れて、隠れました。」とあります。

バビロニアの神が人間を造った目的
1.供え物をさせる為に
2.労役を担う 奴隷として
ですから、人間には 関心がありません。



それに対して 聖書は・・・・・・

神と交わりの中にある存在として、神のかたちに 人間を創られました。
「あなたはどこに居るのか?」
神は人間を造られてから ずっと関心をもっておられますし、
神はすべてをご存知で お見通しであるにも関わらず、問いかけておられます。
人格的な存在、神と交わる存在として、
私たちが「はい、ここに居ます」との返事を待っておられるのです。

神から離れることは、肉体の死のみでなく、霊的な死、根本的な死を意味します。
人間はロボットではありませんから、人格的な交わりを強制されないし、自由意志に任せられました。
これは自己征服しながら、神を愛し従うという自由を意味します。
-------->人間は従わない自由を選んでしまいました。
にもかかわらず、神は、愛と憐れみをもって忍耐しておられ、神との関係を回復する為に、イエス・キリストを遣わされました。
神は 罪を徹底的にお嫌いになられるけれども、罪人を憐れむお方です。

『なぜ 生きるのか?』
神が生かしてくださっているのです。
●与えられた弱さ・困難の故に、神が恵を確かに与えて下さるのです。

『「わたしの恵みは、あなたに十分である。
というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」
と言われたのです。』第�Uコリント12章9節

”ここに罪人の私がいます。イエス・キリストの贖いの故に、どうぞ赦して下さい。”
神は ひとりびとりが この告白がなされることを望んでおられると思います。
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御子を信じる者とは・・・・・・
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』ヨハネ3:16

このみことばは、黄金のみことば、小聖書といわれている箇所です。
キリスト教のエッセンスをギュッと凝縮した箇所といっても過言ではありません。
今まで何度も このみことばを引用して記してきましたので、
HPの常連さまにはお馴染みの聖句だと思います。

■この世のすべてのものは神によって創造され、私たち人間をも造られ、
私たちを愛して下さっている。

■しかし、私たち人間はこの神から離れ、神にそむいて生きている為 
真のいのちを失ってしまった。

■そこで、神は私たちを救う為に ひとり子、イエス・キリストをお遣わしになられた。

■イエス・キリストは 私たち人間の罪を負って、十字架で死ぬことにより、
私たちの罪は赦され、神と和解することができるように道筋を作って下さった。

■さらに、イエス・キリストは死から復活し、永遠のいのちを与える救い主である
ということが明らかにされた。

この みことばを要約すると このような感じでしょうか。
しかし、もう一つ大切なことが残っています。
それは「永遠のいのち」を持つことができるのは、「御子を信じる者」・・・・・このところです。
御子を信じるとは・・・・・『神の御子、イエス・キリストを救い主として信じること』を指しています。

信じるだけ・・・・・あまりに簡単すぎて信じられない・・・・とおっしゃるでしょうか?

人間が何か努力をして、というのではありません。
人間はいくら頑張っても、どんなに努力しても・・・・・絶対に救われません。
神さまの方法、恵みによってのみ救われるのです。
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聖書には・・・・
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

ヨハネの福音書 3章16節

この聖句(クリスチャンは聖書の短いことばを聖句と呼びます)は

キリスト教の福音を、実に端的に語っています。
神は、実に そのひとり子をお与えになった
この神のひとり子が・・・・イエス・キリストなのです。

聖書の教える神は 三位一体の神です。
現在私たちの日常においても、三位一体ということばは使われるようになりました。

聖書の中には 
「・・・・唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。」 第一コリント8:4
と記され、

■父なる神、
■神のひとり子イエス・キリスト
■聖霊(御霊)

神は、三つに区別される存在でありながら 唯一の神であること、これが三位一体ということです。
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愛を示された日・・・クリスマス
神であられる方が 人となられた。

それが ”イエス キリスト”です。

イエス キリストは わたしたちと全く同じ(罪がないということを除いて)

ひとりの人間として お生まれになりました。

イエスさまは 神さまとしての栄光を捨て、あらゆる特権を放棄し、

王侯貴族や、大商人の家に生まれることも可能であるのに そのようにはなさらずに、

却って、貧しい庶民の家にお生まれになりました。

それは 私たちを愛して下さっているゆえです。

この愛を示された日が  Christmas なのですね。


私たちの罪の解決をする為に、十字架につけられ 死ぬ為に、

お生まれになったのです。

*イエス・キリストは 私たちの為に いのちを犠牲にしました。

*父なる神も 私たちの為に ひとり子であられる 御子を犠牲にしました。


私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、

私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。

ここに愛があるのです。

第�Tヨハネ4章10節
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愛の神
『 神は愛です。』

これは聖書の一貫した教えです。

私たちは人間は 神のかたちに似るように造られました。

神によって造られたもの(被造物)の中で 人間だけが 

・神の愛を受け入れることが出来ます。
・神を喜ぶことができます。
・神に感謝をすることができます。
・神に讃美と礼拝を捧げることができます。

それは神さまがご自分の愛を注ぐために わたくしたちを造られたからなのです。

*     *     *     *     *     *     *     * 

しかし、人間はその神の期待を裏切りました。

神と共に生きることを捨て 神に背を向け、

自分中心に生きることを選んだのです。

これが 罪です。

神は愛に溢れたお方ですが 聖く、正しい、義のお方ですから、

決して罪を見逃すことはなさいません。

私たち人間の罪を 裁かれます。

実はそのために 神はイエス・キリストを 救い主としてお与えになったのです。
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クリスマスって?
クリスマス・・・キリスト教国ではないこの日本でも クリスマスシーズンが近づくと、

街にはイルミネーションが灯り、クリスマスソングが流れ、

日本人みんなクリスチャンになったかのように、とても華やいだ雰囲気になります。

クリスマスは ”Christmasの文字通り ”Jesus Christ”の誕生をお祝いする日です。

ケーキを食べたり、プレゼントを交換する日ではありませんね。

「そんなことはいわれるまでもなく知っているわ」とおっしゃるでしょうか。

それでは何故クリスマスをお祝いするのでしょうか。

クリスマスのお話は知っていても、2000年前のイエス・キリストの誕生が

自分とどのような関わりあいがあるのか・・・・考えたことがおありでしょうか。
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11月30日(日) くもり
今日からアドベントに入りました。クリスマスシーズンです。

礼拝で語られたメッセージ・・・・・・ミカ書5章2節

『ベツレヘム・エフラテよ。

あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、

あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。

その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。』



旧約聖書ミカ書で預言されていたことは、成就しました。
ナザレではなく、預言どおり・・・・ベツレヘムでイエスさまはお生まれになりました。
住民登録・・・・このことも神さまのご計画のひとつでした。

クリスチャンはこの世の終わり・・・・終末ということを考えます。
しかし、この世の人は 地球がいつまでも 永遠に続くと思っているのではないでしょうか。
・地球には科学的にも証明できるように寿命というものがあります。
・世界戦争・・・・原水爆の使用のような人為的なことによっても、地球は滅んでしまいます。

聖書の預言・・・・・この世は終わり、イエス・キリストの再臨・・・・必ず実現します。

このクリスマスの時期、●イエス・キリストのご降誕を祝い、
●イエス・キリストの再び来られる再臨を信じ、それに備える時といたしましょう。

・・・・・心の目を開かれたメッセージでした。

クリスマスは イエスさまのご降誕をお祝いする喜びの時です。
しかし、この時、再臨のことまでは 考えたことはありませんでした。

主よ、感謝いたします。聖書に記されていることは すべて成就することを もう一度覚えることが出来ました。
アドベントの時、再臨の時まで思いを馳せ、何時イエスさまがおいでになられても慌てることことなく、備えが出来ますように。
そのためにも、祈っています家族・友人が一日も早く救いに与ることができますように、宜しくお願いをいたします。
尊い主、イエス・キリストの御名によって お祈りいたします。      
AMEN
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イエス・キリストご降誕の預言
「荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。」イザヤ書35-6

アッシリヤの侵略により、イスラエルの国土は踏み荒らされ、荒野のような状態でした。
そんな地に住む人々に イザヤは輝かしい未来を預言します。
荒野に水が湧き出し、川が流れ、花咲く緑の野原となる。
盲人が見え、足のきかない人が跳びはねる。
4節では「神は来てあなたがたを救われる。」といっています。
これは、神の御子が人となって世に来られた、
イエス・キリストの御降誕を預言していると考えられます。
実際にキリストがおられたときに、盲人は見え、
足のきかない人が跳びはねるということが起こりました。
しかし、それは人々の心の中で起こっていた素晴らしい奇跡、
すなわち荒野のようなこころが花咲く緑の野のようなこころに変わる
という奇跡しるしにすぎませんでした。
その素晴らしい奇跡が 2003年クリスマスを迎える今もキリストに出会う人々の心の中で起こっていると信じ、感謝します。
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